地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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61 | NG292-02-26 | がれきの山となった街を列車の窓から見る。長崎でまた同じ地獄を見ようとは夢にも思わなかった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/8 | 広島駅 | |
62 | NG292-01-34 | 駅を捜して通りかかりの人に聞くとぶっきらぼうにがれきの向こうを指差した。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/8 | 広島駅 | |
63 | NG277-03 | 小川に沿って細長い溝が掘られ、中に薪を並べていた。たぶん遺体をそこで火葬するのだろうと思った。 | 盛生 倫夫(モリオ ミチオ) | 1945/8/8 | 東練兵場 | |
64 | NG071-03 | 山陽本線の陸橋の所で初めて死体を見る。女性で戸板が乗せてあった。片腕から骨が出ていた。 | 長見 英希(ナガミ ヒデキ) | 1945/8/8 | 山陽本線の陸橋 | |
65 | GE46-15 | 負傷者を収容するために張られたテント | 田中 暎郎(タナカ エイロウ) | 1945/8/8 | 東練兵場 | |
66 | GE43-32 | 川土手に穴を掘り、死体を焼く | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/8 | 広島鉄道局広島工機部 | |
67 | GE42-27 | 猿猴川に浮かぶ死体 | 武田 一美(タケタ カズミ) | 1945/8/8 | 松原町(猿猴川) | |
68 | GE40-18 | 駅地下道の爆死体 | 谷上 一六(タニガミ イチロク) | 1945/8/8 | 広島駅地下道 | |
69 | GE37-39 | ホームに大勢の人があふれている広島駅 | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/8 | 広島駅 | |
70 | GE34-41 | 焼け野原になった街と路面電車 | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/8 | 松原町 | |
71 | GE30-43 | 東照宮前に避難した多くの人々 | 友田 マサエ(トモタ マサエ) | 1945/8/8 | 二葉山・東照宮付近 | |
72 | GE30-23 | 焼け跡に集められた男女の区別もわからない死体 | 牛尾 富子(ウシオ トミコ) | 1945/8/8 | 広島駅から東に200mくらいのところ | |
73 | GE29-49 | 真白い全身包帯の人々 | 十河 敏尚(ソゴウ トシタカ) | 1945/8/8 | 矢賀駅 | |
74 | GE22-26 | 軍人ばかりの死体 ウジが生えている | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/8 | 東練兵場 | |
75 | GE07-26 | 木材と竹の間に死体が積んであった、背中は焼け、髪はちぢれ、男女の判別もむずかしかった | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/8 | 矢賀国民学校 運動場東鉄棒付近 | |
76 | NG002-06 | 広島駅前の焼けたトタンの上に並べられた死体から身内を捜す人々 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | 広島駅前 | |
77 | NG392-01 | 練兵場の一角では横長の穴を掘り死体を火葬していた。夜になってもそこだけ野火のように見えた。 | 梶矢 文昭(カジヤ フミアキ) | 1945/8/7~8/8頃 | 東練兵場 | |
78 | GE13-19 | 内臓の飛び出た死体 | 坂井 巖(サカイ イワオ) | 1945/8/7頃 | 第二総軍司令部馬場付近 | |
79 | GE09-21 | 救援隊として市内で死体処理にあたる。火災は続き建物の下敷きになった人々の助けを求める声が聞える。 | 中村 嘉作(ナカムラ カサク) | 1945/8/7、8/8 | 広島駅、猿猴川、比治山、御幸橋、京橋川 | |
80 | SG-0614 | 呉へ向かう弟と別れ、勤務先の陸軍共済病院へ向かう | 多田 キクエ(タダ キクエ) | 1945/8/7 | 広島駅 |