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トップページ原爆の絵地図 "牛田・広島駅周辺地区"

原爆の絵

地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
61 GE43-22 ムシロをかぶせ名札が付けてあった死体 匿名 1945/8/10前後 牛田土手
62 NG358-06 枕木に放置された兵隊の死体があった。雨にさらされウジがわき悪臭を放っていた。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/10頃 東練兵場
63 NG069-13 東練兵場の山手よりの東照宮下の石灯籠の所で各小隊ごとに二泊三日を過ごし石段で寝起きをする。 田島 武雄(タジマ タケオ) 1945/8/10~8/12 東照宮
64 NG219-03 身寄りも分からないまま亡くなった人々をだびに付しその性別特徴など書いて骨箱に貼り道に並べた。 中平 武司(ナカヒラ タケシ) 1945/8/10~8/15 的場町
65 GE12-41 全身火傷で重傷の妻 谷峰 房太郎(タニミネ フサタロウ) 1945/8/11 牛田町の自宅
66 NG165-05 愛宕踏切を渡るとその一帯の建物は見あたらず、浄光寺の焼け残りの山門があるのみだった。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/11 浄光寺
67 NG121-01 広島駅から広島湾までが見渡せて驚く。周囲は一面の焼け跡で真っ黒焦げの柱と庭木が林のように立っていた。 田坂 敏彦(タサカ トシヒコ) 1945/8/12 広島駅
68 NG121-03 広島駅地下道で放射線の影響か無傷なのにぐったりしている兵隊とそれを看病する看護婦。 田坂 敏彦(タサカ トシヒコ) 1945/8/12 広島駅地下道
69 GE28-40 倉庫の前にミカンのかんづめが開けたままになっていた。首なし、手足なしの黒焦こげの死体 井上 愛子(イノウエ アイコ) 1945/8/13 広島駅に出るまでの通り
70 NG322-01 爆風のためか鉄橋の電線に衣類や毛布がかかっている。下の川では負傷者が水を求めている。 前 務(マエ ツトム) 1945/8/13 大須賀町
71 NG270-01 真っ黒に焼け焦げた市内電車と倒れた建物、まわりに横たわる黒焦げの死体。 吉村 貞人(ヨシムラ サダト) 1945/8/13、1945/8/14 広島駅前
72 GE22-18 川の杭にしがみついたかのような水ぶくれの遺体 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) 1945/8/15 大正橋
73 GE13-38 積み上げられた死体、ほとんどが目を開けたまま死んでいる 石橋 新子(イシバシ シンコ) 1945/8/16 工兵作業場(牛田演習場)
74 NG270-02 青竹の爆心地側は熱線で焼けていた。女性が子どもを連れて食べ物を探し歩いていた。 吉村 貞人(ヨシムラ サダト) 1945/8/16頃 饒津神社付近
75 GE09-46 地をたたき顔を地につけて家族の死を悲しむ朝鮮の人 草田 キヌ(クサダ キヌ) 1945/8/17 矢賀国民学校
76 NG298 広島駅に着いたときはまだ薄暗く人影も少なかった。東京での焼け跡と同じ臭いがした。 梶谷 俊夫(カジタニ トシオ) 1945/8/19 広島駅前
77 GE07-49 背中の火傷にウジがわき、お尻にできた床ずれから骨がみえる友人 廣川 越子(ヒロカワ エツコ) 1945/8/20頃 牛田町
78 NG356-04 家はこわれ焼けたトタン板で作った小屋で母は胸に大やけどを負い、うなりながら寝ていた。 松尾 和子(マツオ カズコ) 1945/8/20頃 牛田町の自宅
79 NG439-01 駅前は全く人気はなく街は瓦礫と化し市街をかこむ山々は茶褐色だった。 中川 清(ナカガワ キヨシ) 1945/8/26 広島駅
80 GE46-34 線路わきに横たわる被爆者 篠原 文雄(シノハラ フミオ) 1945/8/31 広島駅

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