地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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301 | NG216-02 | 橋の近くの道や橋の両側に全身大やけどで真っ赤にはれあがり倒れている人々。 | 花岡 ルリ子(ハナオカ ルリコ) | 1945/8/7 | 二葉の里 | |
302 | NG323-02 | 瀕死の重傷を負い、虫の鳴くような声で水を求めていた兵隊さんたち。今もその声が耳から離れない。 | 森永 ヨシエ(モリナガ ヨシエ) | 1945/8/7 | 東照宮 | |
303 | NG339-02 | やけどした人々の顔は大きく丸くふくれて見分けがつかなかった。大八車には馬の死体が山積みにされていた。 | 伊賀﨑 静子(イガサキ シズコ) | 1945/8/7 | 東練兵場 | |
304 | NG346-01 | 鹿児島への帰省途中海田市駅で汽車が止まり、鉄橋を渡り歩いて市内に入る。 | 黒崎 昇勝(クロサキ ショウカツ) | 1945/8/7 | 府中大川に架かる鉄橋(と思われる) | |
305 | NG370-06 | 三原から来た救援隊に初めて包帯をしてもらう。大八車に乗り矢賀駅から東城町に向かう。 | 山田 一郎(ヤマダ イチロウ) | 1945/8/7 | 東照宮入口 | |
306 | NG387-01 | 熱さのあまり川に飛び込み溺れた人なのだろうか。やけどやけがで顔は見分けもつかなかった。 | 井上 イツコ(イノウエ イツコ) | 1945/8/7 | 饒津神社近くの京橋川 | |
307 | NG387-02 | 死体はあちこちに横たわり一部は集められて大八車の上に積み重ねられていた。 | 井上 イツコ(イノウエ イツコ) | 1945/8/7 | 東練兵場 | |
308 | NG387-03 | たった一つの水道の蛇口に多くの負傷者が水を求めて並んでいた。 | 井上 イツコ(イノウエ イツコ) | 1945/8/7 | 東練兵場付近 | |
309 | NG387-04 | 枕元に置かれたむすびを食べることもなく息絶えた子ども | 井上 イツコ(イノウエ イツコ) | 1945/8/7 | 饒津神社付近 | |
310 | NG473-01 | 瓦礫の山となった市内、ところどころに上がっていた白煙、負傷した夢遊病者のようにさまよう女性 | 山形 明(ヤマガタ アキラ) | 1945/8/7 | 広島駅から南西を望む | |
311 | SG-0131 | 二葉山台地の悲劇 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/7 | 二葉山台地 | |
312 | SG-0144 | 国前寺本堂内の惨状 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/7 | 国前寺本堂内 | |
313 | SG-0207 | 色のない町 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7 | 広島駅プラットホーム | |
314 | SG-0261 | 枯れた稲 | 壷井 進(ツボイ ススム) | 1945/8/7 | 牛田町 | |
315 | SG-0614 | 呉へ向かう弟と別れ、勤務先の陸軍共済病院へ向かう | 多田 キクエ(タダ キクエ) | 1945/8/7 | 広島駅 | |
316 | GE09-21 | 救援隊として市内で死体処理にあたる。火災は続き建物の下敷きになった人々の助けを求める声が聞える。 | 中村 嘉作(ナカムラ カサク) | 1945/8/7、8/8 | 広島駅、猿猴川、比治山、御幸橋、京橋川 | |
317 | GE13-19 | 内臓の飛び出た死体 | 坂井 巖(サカイ イワオ) | 1945/8/7頃 | 第二総軍司令部馬場付近 | |
318 | NG392-01 | 練兵場の一角では横長の穴を掘り死体を火葬していた。夜になってもそこだけ野火のように見えた。 | 梶矢 文昭(カジヤ フミアキ) | 1945/8/7~8/8頃 | 東練兵場 | |
319 | NG002-06 | 広島駅前の焼けたトタンの上に並べられた死体から身内を捜す人々 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | 広島駅前 | |
320 | GE07-26 | 木材と竹の間に死体が積んであった、背中は焼け、髪はちぢれ、男女の判別もむずかしかった | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/8 | 矢賀国民学校 運動場東鉄棒付近 |