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トップページ原爆の絵地図 "牛田・広島駅周辺地区"

原爆の絵

地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
281 NG352 母を追って家から外に出た瞬間巨大な稲光が空を走り、そばにいた姉がとっさに私の頭を押さえた。 宮本 和人(ミヤモト カズト) 1945/8/6 矢賀町
282 NG356-01 気がついたら校舎の下敷きになっており頭と鼻に大けがをし血まみれになってうつぶせに倒れていた。 松尾 和子(マツオ カズコ) 1945/8/6 牛田国民学校
283 NG356-02 家の近くまで来ると米屋が燃えていて一斗缶が音を立てて炎の中で炸裂していた。こわくなって逃げた。 松尾 和子(マツオ カズコ) 1945/8/6 牛田町の自宅近く
284 NG356-04 家はこわれ焼けたトタン板で作った小屋で母は胸に大やけどを負い、うなりながら寝ていた。 松尾 和子(マツオ カズコ) 1945/8/20頃 牛田町の自宅
285 NG356-05 下痢と血便が続き、痩せて骸骨のようになった。それから半年間寝たままだった。 松尾 和子(マツオ カズコ) 1945/9~1946/2 牛田町の自宅
286 NG358-06 枕木に放置された兵隊の死体があった。雨にさらされウジがわき悪臭を放っていた。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/10頃 東練兵場
287 NG364-01 家の下敷きからやっとの思いで外に出て防空ごうに飛び込むと祖母が血まみれになってぼう然としていた。 河内 政子(コウチ マサコ) 1945/8/6 神田橋近くの祖母の家
288 NG364-02 山の方に向かって避難する人々。大きな音に驚き小川に入ってじっとしていた。 河内 政子(コウチ マサコ) 1945/8/6 牛田町
289 NG364-03 天をこがし赤く赤く朝まで燃え続けた広島の空をじっと見ながらひたすら家族の無事を祈った。 河内 政子(コウチ マサコ) 1945/8/6 牛田の山
290 NG370-05 神田山まで来てついに動けなくなった。兵士の姿を見て嬉しかった。 山田 一郎(ヤマダ イチロウ) 1945/8/6 神田山
291 NG370-06 三原から来た救援隊に初めて包帯をしてもらう。大八車に乗り矢賀駅から東城町に向かう。 山田 一郎(ヤマダ イチロウ) 1945/8/7 東照宮入口
292 NG370-08 大須賀町の土手より見た一望千里の広島駅。占領軍専用列車が着き中国軍兵士がチャルメララッパを吹く。 山田 一郎(ヤマダ イチロウ) 広島駅
293 NG374-01 松江に帰るため朝早く広を出て、広島駅で芸備線に乗り換えるためプラットホームで待つ。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 広島駅
294 NG374-02 広島の街は霞がかかったようにおおわれていた。空には真っ赤な大きな火の玉があった。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 矢賀駅近く
295 NG374-03 3分くらいして赤い火の玉を巻くように外側がもくもくと灰色から暗い色になっていった。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 矢賀駅近く
296 NG374-04 汽車は何も無かったかのように走っていた。20~30分くらい後きのこ雲のようになった。 小笹 敏夫(オザサ トシオ) 1945/8/6 矢賀駅近く
297 NG387-01 熱さのあまり川に飛び込み溺れた人なのだろうか。やけどやけがで顔は見分けもつかなかった。 井上 イツコ(イノウエ イツコ) 1945/8/7 饒津神社近くの京橋川
298 NG387-02 死体はあちこちに横たわり一部は集められて大八車の上に積み重ねられていた。 井上 イツコ(イノウエ イツコ) 1945/8/7 東練兵場
299 NG387-03 たった一つの水道の蛇口に多くの負傷者が水を求めて並んでいた。 井上 イツコ(イノウエ イツコ) 1945/8/7 東練兵場付近
300 NG387-04 枕元に置かれたむすびを食べることもなく息絶えた子ども 井上 イツコ(イノウエ イツコ) 1945/8/7 饒津神社付近

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