地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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181 | NG029-04 | 燃える市街を二葉山から見る。辺りは薄暗く風が強く、空にはドラム缶のようなものが舞っていた。 | 田中 富安(タナカ トミヤス) | 1945/8/6 | 二葉山の通信所 | |
182 | NG039-02 | ピカッと光った瞬間。30秒くらいして灰かぐらの何も見えない暗闇になった。 | 百々 和子(ドド カズコ) | 1945/8/6 | 広島駅前郵便局 | |
183 | NG042-01 | 広島駅の被爆者の様子。治療も受けられず、薬もなく苦しむ人、肉親を捜す人、火葬する人。 | 山本 泰正(ヤマモト ヤスマサ) | 広島駅 | ||
184 | NG047-02 | 爆風で飛ばされた同僚、防火用水槽の前の放射状に倒れた死体 | 國貞 勇(クニサダ イサム) | 1945/8/6 | 広島第一機関区 | |
185 | NG051-02 | 工兵隊作業場に来た気の狂った娘さんを保護する。服を着せてもすぐに脱いでしまい一言も口をきかなかった。 | 住本 一美(スミモト カズミ) | 1945/8/6 | 中国軍管区工兵補充隊作業場 | |
186 | NG054-02 | 矢賀町の広島工機部より見た爆発の瞬間。ホコリが薄れると山の向こうから赤、ピンク、黒の炎が上がった。 | 江角 隆雄(エスミ タカオ) | 1945/8/6 | 広島鉄道局広島工機部 | |
187 | NG054-03 | 救護所ができるが、薬とガーゼもすぐつきてしまい、やけどで亡くなった死者が山のようになった。 | 江角 隆雄(エスミ タカオ) | 1945/8/6 | 荒神社 | |
188 | NG054-04 | 重傷で水を求める人。水をあげたがまともに飲むことができず、数時間後に亡くなった。 | 江角 隆雄(エスミ タカオ) | 1945/8/6 | 広島鉄道局第二機関区 | |
189 | NG059 | 引揚げ列車から広島駅に降り立つ。何もなく彼方に建物が1つ月明かりでかすんで見えた。 | 河井 恭子(カワイ キョウコ) | 1945/11/23 | 広島駅プラットホーム | |
190 | NG067-09 | すでに死亡して紫色に変色した母親の乳房を吸う赤ん坊。 | 小林 豊(コバヤシ ユタカ) | 1945/8/7 | 東練兵場 | |
191 | NG067-10 | 死体を収容する人たち | 小林 豊(コバヤシ ユタカ) | 1945/8/7 | 広島駅付近路上 | |
192 | NG069-02 | 駅前にたくさんの負傷者がいた。男女の区別もつかず髪はちぢれて肌に食い込んだ着物の布で女の人とわかった | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/9 | 矢賀駅 | |
193 | NG069-12 | 生臭い風と布団のくすぶるようなにおいがした。広島駅のプラットホームの上の鉄橋がくずれていた。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/9 | 広島駅 | |
194 | NG069-13 | 東練兵場の山手よりの東照宮下の石灯籠の所で各小隊ごとに二泊三日を過ごし石段で寝起きをする。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/10~8/12 | 東照宮 | |
195 | NG069-14 | 大きなごうに木材をしきつめ死体がその上に並べてあった。腐乱がひどく腹部はふくらんでいた。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 東練兵場 | ||
196 | NG071-03 | 山陽本線の陸橋の所で初めて死体を見る。女性で戸板が乗せてあった。片腕から骨が出ていた。 | 長見 英希(ナガミ ヒデキ) | 1945/8/8 | 山陽本線の陸橋 | |
197 | NG073 | 広島駅の待合室にいる負傷者と看病をする女性。缶を持って募金をする男の子。 | 小倉 満明(オグラ ミツアキ) | 広島駅 | ||
198 | NG075-02 | 黒く焼けた死体が並べられていた。自分が捜している人は見つからなかった。 | 原 敏子(ハラ トシコ) | 1945/8/9 | 牛田国民学校 | |
199 | NG094-01 | 飛行機を見つけた瞬間、何か地上で一瞬光った。5、6秒後ブォーンという音が聞こえ爆風で1m程飛ばされた。 | 津村 明正(ツムラ アキマサ) | 1945/8/6 | 牛田町 | |
200 | NG094-02 | 戸坂へ続く県道に出て負傷者を見る。子どもを連れた母親。よろけながら座りこみ動けなくなった兵隊さん。 | 津村 明正(ツムラ アキマサ) | 1945/8/6 | 牛田町 |