地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
61 | GE11-28 | 全身に白い薬をぬり、おわんを持って立ったままの人。草むらに横たわる死傷者。 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 1945/8/9 | 東練兵場 | |
62 | GE13-47 | 水にただよう目の玉が飛び出した死体 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 1945/8/9 | 大州四丁目 京橋川下流 | |
63 | GE13-48 | 下敷になった女性が助けを呼んでいる。 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 1945/8/7 | 広島駅前 | |
64 | WH14-076 | 広島駅前広場から東松原通りの冬の思い出 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 大正10年頃冬 | 広島駅前広場より東松原通り | |
65 | WH14-085 | 小学校時代の西練兵場の楽しい遠足の思い出 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 大正9、10年頃の5、6月頃 | 東練兵場 | |
66 | GE23-45 | 第二部隊総軍騎兵隊で土塀が崩れ馬が死んでいる様子 | 右近 文子(ウコン フミコ) | 第二総軍司令部 | ||
67 | GE37-34 | 川にたくさんの遺体、火事になった饒津神社他 | 右近 文子(ウコン フミコ) | 饒津神社周辺 | ||
68 | GE37-38 | 防空ごうの中の負傷者 | 右近 文子(ウコン フミコ) | 東照宮近く | ||
69 | WH03-003 | 饒津神社 | 右近 文子(ウコン フミコ) | 饒津神社 | ||
70 | WH04-023 | 饒津神社 | 右近 文子(ウコン フミコ) | 饒津神社 | ||
71 | NG130-02 | 駅から西方に機関車が倒れていた。ホームの屋根はなく降りる客もあまりいない。 | 吉井 敏春(ヨシイ トシハル) | 1945/9/3 | 広島駅 | |
72 | GE34-06 | 中山峠を避難する人達、尾長国民学校のケガ人を満載したトラック | 吉富 サワエ(ヨシトミ サワエ) | 1945/8/6 | 尾長国民学校、中山峠 | |
73 | WH03-025 | 東練兵場で騎兵隊の演習風景 | 吉富 サワエ(ヨシトミ サワエ) | 東練兵場 | ||
74 | WH03-087 | 東練兵場周辺 | 吉川 貞子(キッカワ サダコ) | 東練兵場 | ||
75 | NG299-01 | 空が急に明るくなり傘を広げたように閃光が降ってきた。次の瞬間ドーンと音がして爆風に飛ばされた。 | 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) | 1945/8/6 | 広島鉄道局広島工機部 | |
76 | NG299-02 | 『アメリカが新型爆弾を投下した。市内に立入禁止』と立て札があった。踏切の向こうは火の海だった。 | 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) | 1945/8/6 | 愛宕踏切 | |
77 | NG299-03 | 衣服は引き裂け皮膚はたれ下がりこの世の人とは思えぬ姿の負傷者たち。声も立てず黙々と郊外へ逃げていく。 | 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) | 1945/8/6 | 広島鉄道局広島工機部付近の川土手 | |
78 | NG299-04 | 市内から温品、戸坂方面に避難する負傷者たち。ボロボロの衣服をまとい血みどろだった。 | 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) | 1945/8/6 | 広島鉄道局広島工機部付近 | |
79 | NG299-06 | 血みどろで、この世の人とは思えぬ姿で、声もなく郊外へ逃れていく負傷者たち。 | 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) | 1945/8/6 | 広島鉄道局広島工機部付近 | |
80 | NG299-07 | 市内から温品、戸坂方面に避難するボロボロの衣服をまとった血みどろの負傷者。 | 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) | 1945/8/6 | 広島鉄道局広島工機部付近 |