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トップページ原爆の絵地図 "牛田・広島駅周辺地区"

原爆の絵

地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
21 GE09-21 救援隊として市内で死体処理にあたる。火災は続き建物の下敷きになった人々の助けを求める声が聞える。 中村 嘉作(ナカムラ カサク) 1945/8/7、8/8 広島駅、猿猴川、比治山、御幸橋、京橋川
22 NG258 黒焦げの死体の山の横で火傷にウジが這い回る姿の母、8歳の兄と5歳の私。 中村 正子(ナカムラ マサコ) 1945/8/8~8/9 矢賀国民学校
23 NG210-04 腹のふくれた馬の死体、赤くむけた足の男性の死体。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 1945/8/7 大正橋
24 WH01-049 東照宮参道の街道マツ 中野 健一(ナカノ ケンイチ) 東照宮
25 GE06-23 救護班の活動 中野 正英(ナカノ マサヒデ) 1945/8/6~8/8 東練兵場
26 NG387-01 熱さのあまり川に飛び込み溺れた人なのだろうか。やけどやけがで顔は見分けもつかなかった。 井上 イツコ(イノウエ イツコ) 1945/8/7 饒津神社近くの京橋川
27 NG387-02 死体はあちこちに横たわり一部は集められて大八車の上に積み重ねられていた。 井上 イツコ(イノウエ イツコ) 1945/8/7 東練兵場
28 NG387-03 たった一つの水道の蛇口に多くの負傷者が水を求めて並んでいた。 井上 イツコ(イノウエ イツコ) 1945/8/7 東練兵場付近
29 NG387-04 枕元に置かれたむすびを食べることもなく息絶えた子ども 井上 イツコ(イノウエ イツコ) 1945/8/7 饒津神社付近
30 GE28-40 倉庫の前にミカンのかんづめが開けたままになっていた。首なし、手足なしの黒焦こげの死体 井上 愛子(イノウエ アイコ) 1945/8/13 広島駅に出るまでの通り
31 GE26-15 水を求め、一緒に家に連れて帰ってくれと頼む重体の中学生。水をあげると口から黄色いものを出していた。 井上 浩(イノウエ ヒロシ) 1945/8/6 大成油工場臨時救護所
32 GE39-10 一緒に連れてってと頼みながら死んだ中学生、臨時救護所に殺到する被爆者達 井上 浩(イノウエ ヒロシ) 1945/8/6 大成油工場臨時救護所
33 WH05-025 二葉山の観月桜 井野上 忠夫(イノウエ タダオ) 大正12年頃 二葉山
34 NG225-02 「おかあさーん」と泣き叫びながら走ってきた娘さん。髪は逆立ちやけどで全裸だった。 今中 弘子(イマナカ ヒロコ) 1945/8/6 大正橋
35 GE34-12 東錬兵場に避難した人々の様子 今中 重次郎(イマナカ シゲジロウ) 1945/8/6 東練兵場
36 WH01-021 広島駅前の地図 今中 重次郎(イマナカ シゲジロウ) 広島駅前
37 NG319-01 頭のてっぺんからかかとの先までやけどした弟。「アツイ…水…」とそれだけを繰り返して亡くなった。 今浦 瑛子(イマウラ エイコ) 1945/8/6 尾長国民学校
38 NG319-02 若いお母さんが「赤ちゃんが死んだ」と立っていた。苦しむ女学生に死んだ弟の防空頭巾を枕にあげた。 今浦 瑛子(イマウラ エイコ) 1945/8/6 尾長町
39 NG339-01 たれ下がった皮膚をひきずりながら歩いて来た人。負傷した人のうめき声がひろがる。 伊賀﨑 静子(イガサキ シズコ) 1945/8/6 尾長町、鉄道練成所
40 NG339-02 やけどした人々の顔は大きく丸くふくれて見分けがつかなかった。大八車には馬の死体が山積みにされていた。 伊賀﨑 静子(イガサキ シズコ) 1945/8/7 東練兵場

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