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トップページ原爆の絵地図 "牛田・広島駅周辺地区"

原爆の絵

地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
241 NG266-02 敵機が来て母が私たちを防空ごうに押し込んだ。中はやけどした負傷者がいっぱいで街は火の海だった。 煙上 博隆(エンジョウ ヒロタカ) 1945/8/6 東練兵場
242 NG270-01 真っ黒に焼け焦げた市内電車と倒れた建物、まわりに横たわる黒焦げの死体。 吉村 貞人(ヨシムラ サダト) 1945/8/13、1945/8/14 広島駅前
243 NG270-02 青竹の爆心地側は熱線で焼けていた。女性が子どもを連れて食べ物を探し歩いていた。 吉村 貞人(ヨシムラ サダト) 1945/8/16頃 饒津神社付近
244 NG274-01 胸がただれてウジがわいている人。京橋川に流れる死体。 橋本 マチヨ(ハシモト マチヨ) 1945/8/9 広島駅
245 NG277-03 小川に沿って細長い溝が掘られ、中に薪を並べていた。たぶん遺体をそこで火葬するのだろうと思った。 盛生 倫夫(モリオ ミチオ) 1945/8/8 東練兵場
246 NG283-02 東練兵場から市内中心部をおおう黒煙を見て泣き叫ぶ男女中学生たち。 鈴木 恒昭(スズキ ツネアキ) 1945/8/6 東練兵場
247 NG287-01 まだ所々に煙が立ちこわれた水道からでた水が道路に流れていた。焼けた路面電車には母子の焼死体があった。 白川 法光(シラカワ ノリミツ) 1945/8/9か、8/10 広島駅前
248 NG287-02 駅前の焼け残った路面電車を見たとき昨日見た焼死した母子が思い浮かんだ。 白川 法光(シラカワ ノリミツ) 1945/8/10か、8/11 広島駅前
249 NG292-01-34 駅を捜して通りかかりの人に聞くとぶっきらぼうにがれきの向こうを指差した。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 広島駅
250 NG292-02-26 がれきの山となった街を列車の窓から見る。長崎でまた同じ地獄を見ようとは夢にも思わなかった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 広島駅
251 NG297 教室の中には大勢の人が横になっていた。おばあさんがトマトにしゃぶりついているのが異様に見えた。 西川 愛子(ニシカワ アイコ) 矢賀国民学校
252 NG298 広島駅に着いたときはまだ薄暗く人影も少なかった。東京での焼け跡と同じ臭いがした。 梶谷 俊夫(カジタニ トシオ) 1945/8/19 広島駅前
253 NG299-01 空が急に明るくなり傘を広げたように閃光が降ってきた。次の瞬間ドーンと音がして爆風に飛ばされた。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部
254 NG299-02 『アメリカが新型爆弾を投下した。市内に立入禁止』と立て札があった。踏切の向こうは火の海だった。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 愛宕踏切
255 NG299-03 衣服は引き裂け皮膚はたれ下がりこの世の人とは思えぬ姿の負傷者たち。声も立てず黙々と郊外へ逃げていく。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部付近の川土手
256 NG299-04 市内から温品、戸坂方面に避難する負傷者たち。ボロボロの衣服をまとい血みどろだった。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部付近
257 NG299-06 血みどろで、この世の人とは思えぬ姿で、声もなく郊外へ逃れていく負傷者たち。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部付近
258 NG299-07 市内から温品、戸坂方面に避難するボロボロの衣服をまとった血みどろの負傷者。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部付近
259 NG300 年老いた常会長さんと2人で消火作業をする。2人の兵隊さんが来て何とかくいとめることができた。 望月 明(モチヅキ アキラ) 1945/8/6 牛田町神田区
260 NG314-01 原爆が落とされる前の広島駅。中央が鉄筋コンクリート造りで左右に木造の庁舎があった。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 広島駅

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