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トップページ原爆の絵地図 "牛田・広島駅周辺地区"

原爆の絵

地図 "牛田・広島駅周辺地区" で 394 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
221 NG187-02 トラックに負傷者を乗せるのを手伝う。やけどした全裸の女性に体をおおうためのカーテンを渡した。 長船 久(オサフネ ヒサシ) 1945/8/6 東大橋
222 NG197-04 橋桁にはたくさんの死体がたまっていた。兵隊が舟に乗りとびくちを使って死体を引き上げていた。 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) 1945/8/7 猿猴橋
223 NG203-02 山道を越えて戸坂へ避難する。水、水と叫ぶ人、力尽きて倒れている人。 持田 久一(モチダ ヒサイチ) 1945/8/6 牛田町
224 NG210-04 腹のふくれた馬の死体、赤くむけた足の男性の死体。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 1945/8/7 大正橋
225 NG212-04 助け合うように肩を組み歩いている女学生。顔は青紫色に腫れあがり、スカートはずたずたに裂けていた。 泉原 寅男(イズハラ トラオ) 1945/8/6 工兵橋の牛田側
226 NG214-01 息絶えた母親をたった一人で見守る小さな女の子 生塩 敏夫(ウシオ トシオ) 1945/8/7 東練兵場
227 NG214-02 川に浮いた死体。女性ばかりだった。 生塩 敏夫(ウシオ トシオ) 1945/8/7 京橋川、東練兵場から基町の広島連隊区司令部に向かう途中
228 NG216-01 燃えている市街地。真っ黒い煙のうずまきが太い黒い柱となって上空に立ちのぼりそびえ立っていた。 花岡 ルリ子(ハナオカ ルリコ) 1945/8/6 二葉山中腹
229 NG216-02 橋の近くの道や橋の両側に全身大やけどで真っ赤にはれあがり倒れている人々。 花岡 ルリ子(ハナオカ ルリコ) 1945/8/7 二葉の里
230 NG219-03 身寄りも分からないまま亡くなった人々をだびに付しその性別特徴など書いて骨箱に貼り道に並べた。 中平 武司(ナカヒラ タケシ) 1945/8/10~8/15 的場町
231 NG220 全身にガラス片を浴び、べっとりと血のりのついた妹の顔 三浦 静子(ミウラ シズコ) 1945/8/6 大内越峠下
232 NG225-02 「おかあさーん」と泣き叫びながら走ってきた娘さん。髪は逆立ちやけどで全裸だった。 今中 弘子(イマナカ ヒロコ) 1945/8/6 大正橋
233 NG236-01 救護所で救援活動を行う。絶え間のない空襲警報で防空ごうに向かうこともしばしばだった。 知久 喜代野(チク キヨノ) 三星製菓、大正橋付近
234 NG243-01 すさまじい光線が矢のように突き刺さり、私は爆風で家の壁や家財道具もろとも吹き飛ばされた。 深町 陸夫(フカマチ リクオ) 1945/8/6 牛田町
235 NG243-02 火災を避け、家の前の堤防の陰に避難する。しゃがみ込む人たちにひしゃくで水をすくってかけ続けた。 深町 陸夫(フカマチ リクオ) 1945/8/6 牛田町
236 NG245 昭和20年3月頃、東練兵場であった空襲を尾長国民学校から見る。 桑原 寿子(クワハラ ヒサコ) 1945/3 尾長国民学校
237 NG253 きのこ雲。部隊が駐屯していた学校の玄関を出ようとした時、突然上空が光った。 薄 栄助(ウスキ エイスケ) 1945/8/6 広島県松本工業学校
238 NG256 食べ物の配給、広場に集められた負傷者、横転した汽車、馬の死体、母子と軍医、やけどした子どもたち。 菅野 俊雄(カンノ トシオ) 1945/8/8~8/9 広島駅
239 NG258 黒焦げの死体の山の横で火傷にウジが這い回る姿の母、8歳の兄と5歳の私。 中村 正子(ナカムラ マサコ) 1945/8/8~8/9 矢賀国民学校
240 NG263-04 駅前から遠い宇品沖の似島が見えた。妹は似島で10日の昼頃亡くなっていたがその時はまだわからなかった。 加川 宏(カガワ ヒロシ) 1945/8/6 広島駅前

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