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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 264 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
241 GE01-33 トタン板の上に死体を重ねて火葬している兵隊 太田 勝子(オオタ カツコ) 1945/8/8 小綱町付近
242 GE09-33 ダビにふされる死体 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/9 寺町
243 NG189 タンスと梁の隙間で助かった自分と弟を屋根の穴から呼ぶ叔母。 三好 善昭(ミヨシ ヨシアキ) 1945/8/6 新市町の自宅
244 GE01-12 グッタリした赤ん坊をだいた夫が動けなくなった妻の手をひいて元気づける 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/6 中広町一丁目
245 GE24-21 やけどをした人が「さむいよーさむいよー」と火にあたっている 樽本 叡(タルモト サトシ) 1945/8/6 土橋付近
246 SG-0247 やけどの傷に集ってくる大きな蝿を、夜通しうちわで追い続けた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階宿直室
247 SG-0248 まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前
248 GE46-12 にげまどう被爆者たち 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/6 福島橋東詰の川原
249 NG122-02 つながれたまま木に寄りかかって死んでいる馬。 向井 健二郎(ムカイ ケンジロウ) 1945/8/7 榎町近く
250 SG-0249 たくさんの遺体が重ね、焼かれた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局工事宿直室
251 SG-0244 たくさんの人の遺体 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前庭右に大きな防火用水槽
252 GE04-27 たおれた牛、防火用水槽の死体、自転車と死体 中田 伍一(ナカタ ゴイチ) 1945/8/7 横川橋に至る引御堂寺町筋
253 GE36-30 こわれた市電の中の生き残った人々が助けてくれと叫び続けていた。 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク) 広瀬北町
254 NG023-02 こわれた土塀にすがって死んでいる男の人の目と口の中にはウジがぎっしりといて動いていた。 名原 武子(ナバラ タケコ) 1945/8/7 天満町
255 GE07-45 こもをかぶせられて横たわる老婦人とみかんの缶詰をさし出す兵隊 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/9 寺町の近所
256 GE37-23 きちんと並んだ動員学徒の死体、焼け残った弁当が供えられている。 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/7 土橋
257 NG064 がれきの街でリヤカーを引き中学生の息子を捜す夫婦。黒焦げの死体の口や股間からは内臓が飛び出ていた。 村田 満久(ムラタ ミチヒサ) 1945/8/9か、8/10 寺町
258 GE24-20 おへその飛び出した乳児と添い寝の母親 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) 1945/8/7 寺町通り
259 GE31-31 あちらこちらに残る遺骨 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) 1946/1/ 西新町
260 GE37-20 「お願い水を下さい」と先生に叫ぶ生徒達 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/7 土橋付近

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