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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 265 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
121 GE03-25 建物疎開作業中全滅した中学生達 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) 1945/8/9 土橋町付近
122 NG419 必死に倒壊した家から這い出すと、道路は横川方面に向けて避難している人でいっぱいだった。 松富 光子(マツトミ ミツコ) 1945/8/6 広島別院前
123 GE45-04 我子を抱いて家から脱出 香川 ヒサエ(カガワ ヒサエ) 1945/8/6 天満町の電停近くの自宅の店先
124 GE07-04 押しつぶされた屋根の下からはい出す自分とその時目撃した半死半生の被爆者たち 畑 三郎(ハタ サブロウ) 1945/8/6 上天満町
125 GE38-44 捜していた妹と出会う 大田 晴代(オオタ ハルヨ) 1945/8/6 土橋付近
126 GE24-13 救護所に火傷の手当のため集まった負傷者の長蛇の列 塚本 四一(ツカモト シイチ) 1945/8/6 南三篠町
127 GE14-41 散乱したトマトやカボチャ、燃える電柱、死んだ人や馬、負傷し泣きわめく人々 廣中 トラコ(ヒロナカ トラコ) 1945/8/6 福島町付近
128 WH08-013 新市町の青果物市場 樽本 叡(タルモト サトシ) 新市町の卸売市場
129 WH05-004 早朝の肥集め 樽本 叡(タルモト サトシ) 横堀町
130 GE12-27 暁部隊が被災者の救護活動をするようす、負傷者を運び姓名を聞き記録する 中川 謙(ナカガワ ケン) 1945/8/6 堺町の川土手筋
131 GE36-41 木の電柱の中間が燃えていた 古林 広自(フルバヤシ ヒロジ) 1945/8/6 広瀬橋から己斐方面へ50mの所
132 GE33-31 本願寺派広島別院の情景 山本 正人(ヤマモト マサト) 1946/2/20 本願寺派広島別院
133 SG-0246 机の下に倒れていた人を助ける 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/7 広島中央電話局西分局3階事務室
134 GE15-41 柱の下敷になった母親とその助けを呼ぶ少女 小野木 明(オノギ アキラ) 1945/8/6 天満町
135 GE43-41 校舎の下敷になった下級生たち 秦 進一(ハタ シンイチ) 1945/8/6 天満国民学校
136 GE27-29 校舎は全壊し、級友たちは校庭一面に倒れていた。 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) 1945/8/6 市立中学校校庭
137 WH06-032 横堀町の夜店 木原 敏子(キハラ トシコ) 昭和16年頃 横堀町
138 GE25-34 橋のたもとの死体、くすぶる橋 三戸 昇(ミト ノボル) 1945/8/6 広瀬橋西詰
139 GE43-02 橋は焼け舟に乗り対岸へ渡る 秦 進一(ハタ シンイチ) 1945/8/6 小河内橋
140 NG165-07 橋下の水面の多くの流木の間に赤く腫れ上がった数体の遺体が浮かんでいた。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/11 天満橋東詰橋下

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