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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 264 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
221 SG-0009-5 被爆体験を描いたスケッチブック(5/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 東洋製罐広島工場付近
222 SG-0009-6 被爆体験を描いたスケッチブック(6/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 福島町電停
223 SG-0009-8 被爆体験を描いたスケッチブック(8/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 土橋付近
224 GE37-42 被爆前、作業を始めるための指示を待つ 古林 広自(フルバヤシ ヒロジ) 1945/8/6 榎町
225 GE08-41 親戚を捜索中に軍隊放出の冷凍みかんをもらう 清水 勝(シミズ マサル) 1945/8/9 十日市
226 WH08-043 観音のやぶの稲荷神社 前迫 シズエ(マエサコ シズエ) 観音のやぶの稲荷神社
227 WH01-007 観音尋常高等小学校 前迫 シズエ(マエサコ シズエ) 大正初期 観音国民学校
228 SG-0284 角材が腹部に突き刺さって亡くなった男性 杉本 信夫(スギモト シノブ) 1945/8/6 東洋製罐株式会社正門付近
229 NG241 警防団や兵隊さんが焼け跡から死体を集めていた。焼けて男女の見分けもつかなかった。 河野 寛治(コウノ ヒロハル) 1945/8/9 左官町電停前
230 NG045-03 護岸工事の残石の上に十数人の生死不明の人が折り重なって倒れていた。天満橋の木の欄干がくすぶっていた。 中田 義明(ナカタ ヨシアキ) 1945/8/7 天満橋
231 SG-0529 路面電車の中や壁の陰で日差しを避ける負傷者たち 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク) 1945/8/8 土橋
232 GE30-38 身体中にガラスの破片がささり、さまよう男 平田 勝(ヒラタ マサル) 1945/8/6 観音町
233 GE27-36 軍馬に乗ったまま、死んでいる将校 池田 キミヱ(イケダ キミエ) 1945/8/8 十日市町
234 GE28-17 道端で苦しむ人々 廣中 トラコ(ヒロナカ トラコ) 1945/8/6 天満町
235 GE05-48 道端に骨を拾う家族もないのか長い間道行く人を眺めていた白骨 辻岡 孝子(ツジオカ タカコ) 1945/9/中旬 十日市町
236 NG358-01 遠くで火の手が上がっていた。けがをした人が川土手の方へ歩いて避難していた。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/6 東洋製罐広島工場近くの川土手
237 GE10-17 避難した川で死んでいる親子 西田 輝美(ニシダ テルミ) 1945/8/6 福島川
238 GE38-35 避難者をのせる汽車 焦げたジャガイモを食べる人々 北橋 ハル子(キタハシ ハルコ) 1945/8/6 中広町
239 GE44-16 金棒を両手で握りしめ目は開けたままの子供の死体 村上 利(ムラカミ トシ) 1945/8/7 鷹匠町
240 NG358-10 鉄橋がこわれたため天満川ははしけ舟で人々を運び路面電車と連絡した。そこには闇市ができにぎわった。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 天満町電車専用橋

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