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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 264 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
201 GE04-03 窓一杯に光をみた 気がついたら家の下敷きとなって身動きもできなかった 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/6 中広町の自宅
202 NG092 立ったまま死んでいる馬。手綱を持った馬車引きのおじさんも膝を組んで座ったまま死んでいた。 西村 成隆(ニシムラ ナリタカ) 寺町
203 GE11-50 翌日でも焼け残りの家がまだ焼けている。女の人が倒れているが、誰も助けようとしない。 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/7 十日市町
204 NG023-03 背中の竹筒に白い骨をたくさん入れてひとりで歩いている小さな女の子 名原 武子(ナバラ タケコ) 1945/8/7 土橋
205 SG-0245 胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略) 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階通路
206 GE22-04 胸の傷を洗っていると全身やけどの女性が「私の顔はどんなですか」と聞く 紀川 良子(キガワ ヨシコ) 1945/8/6 中広町二丁目の自宅前
207 NG188-02 腸が飛び出した牛。耳と目を押さえふせた姿勢の死体。幼児をしっかりと抱きかかえた死体。 藤本 英雄(フジモト ヒデオ) 1945/8/7 左官町付近
208 NG023-01 腸は全部飛び出し、口を開け、目をむいて転がっている馬の死体 名原 武子(ナバラ タケコ) 1945/8/7 天満町
209 GE30-25 腹がパンパンに膨らんだ馬の死体 原田 義諦(ハラダ ギタイ) 1945/8/7 土橋電停近く
210 NG276-06 自分で焼け焦げたトタン持ってきてその陰にかがんでいた人々。 瀧川 ヤスコ(タキガワ ヤスコ) 1945/8/7 天満町
211 GE45-22 自宅の下敷になって意識不明になった母を助けてたおれた父 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) 1945/8/6 中広町
212 SG-0357 自宅焼け跡。復興の旗を立てる父。(小原一家原爆の絵連作2) 小原 芳郎(オバラ ヨシロウ) 1945/8
213 GE34-07 船の助けを待つ草津義勇隊の被災者 播本 啓次郎(ハリモト ケイジロウ) 1945/8/6 小網町堤防
214 GE10-49 草を食べる火傷した馬 田丸 義明(タマル ヨシアキ) 福島町
215 SG-0242 荷台で亡くなった人と、背中に火傷を負って逃げ走る馬 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広瀬橋の手前の道
216 NG285 行方不明の子どもを残して逃げる人。避難途中の死者。助けを求める人々。水を求めて川に向かって行く人。 西村 礼珠(ニシムラ レイジュ) 1945/8/6 上天満町
217 GE02-37 被爆した我が子に出会い知人の自転車の荷台に乗せた瞬間息を引き取る 古川 静江(フルカワ シズエ) 1945/8/7 広瀬神社前電車通り
218 NG354-06 被爆の3日後、己斐から西天満町間で初めて路面電車が動く。復旧一番電車で車掌として乗務した。 堀本 春野(ホリモト ハルノ) 1945/8/9 己斐から西天満町までの路面電車の中
219 SG-0009-1 被爆体験を描いたスケッチブック(1/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 土橋 小網町
220 SG-0009-4 被爆体験を描いたスケッチブック(4/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 天満川 広電鉄橋

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