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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 264 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1 NG208-02 20人くらいの人が防火用水槽に入り、灰色で水ぶくれの状態で亡くなっていた。 高橋 正明(タカハシ マサアキ) 1945/8/8 十日市交差点北東側
2 GE11-14 2人の子供を抱いたまま焼死した母親 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 観音町付近
3 GE13-27 2人の子供を抱いたまま焼死した母親 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 1945/8/7 天満町付近
4 GE01-25 3日目まだくすぶり続ける焼け跡の中、男女の判別もつかない多くの死体を警防団員が火葬していた 畑 三郎(ハタ サブロウ) 1945/8/9 鷹匠町
5 GE37-20 「お願い水を下さい」と先生に叫ぶ生徒達 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/7 土橋付近
6 GE31-31 あちらこちらに残る遺骨 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) 1946/1/ 西新町
7 GE24-20 おへその飛び出した乳児と添い寝の母親 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) 1945/8/7 寺町通り
8 NG064 がれきの街でリヤカーを引き中学生の息子を捜す夫婦。黒焦げの死体の口や股間からは内臓が飛び出ていた。 村田 満久(ムラタ ミチヒサ) 1945/8/9か、8/10 寺町
9 GE37-23 きちんと並んだ動員学徒の死体、焼け残った弁当が供えられている。 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/7 土橋
10 GE07-45 こもをかぶせられて横たわる老婦人とみかんの缶詰をさし出す兵隊 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/9 寺町の近所
11 NG023-02 こわれた土塀にすがって死んでいる男の人の目と口の中にはウジがぎっしりといて動いていた。 名原 武子(ナバラ タケコ) 1945/8/7 天満町
12 GE36-30 こわれた市電の中の生き残った人々が助けてくれと叫び続けていた。 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク) 広瀬北町
13 GE04-27 たおれた牛、防火用水槽の死体、自転車と死体 中田 伍一(ナカタ ゴイチ) 1945/8/7 横川橋に至る引御堂寺町筋
14 SG-0244 たくさんの人の遺体 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前庭右に大きな防火用水槽
15 SG-0249 たくさんの遺体が重ね、焼かれた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局工事宿直室
16 NG122-02 つながれたまま木に寄りかかって死んでいる馬。 向井 健二郎(ムカイ ケンジロウ) 1945/8/7 榎町近く
17 GE46-12 にげまどう被爆者たち 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/6 福島橋東詰の川原
18 SG-0248 まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前
19 SG-0247 やけどの傷に集ってくる大きな蝿を、夜通しうちわで追い続けた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階宿直室
20 GE24-21 やけどをした人が「さむいよーさむいよー」と火にあたっている 樽本 叡(タルモト サトシ) 1945/8/6 土橋付近

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