地図 "十日市・中広地区" で 265 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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101 | GE21-23 | 広瀬元町の復元図 | 伊藤 庫敏(イトウ コトシ) | 広瀬元町 | ||
102 | GE26-05 | 建物の下敷になった人を助けだそうとする | 前迫 シズエ(マエサコ シズエ) | 1945/8/6 | 広瀬 | |
103 | GE06-38 | 地下豪入口で30人余りの人が血だらけで折り重なり死んでいた | 小橋 染春(コバシ ソメハル) | 1945/8/6 | 広島憲兵分隊(光道学校)地下ごう入口 | |
104 | SG-0001 | 家の下敷になって助けを求める母子 | 1945/8/6 | 広島市中広町中国配電三篠変電所近く | ||
105 | NG419 | 必死に倒壊した家から這い出すと、道路は横川方面に向けて避難している人でいっぱいだった。 | 松富 光子(マツトミ ミツコ) | 1945/8/6 | 広島別院前 | |
106 | WH13-035 | 広島別院 | 小野 勝(オノ マサル) | 広島別院 | ||
107 | SG-0247 | やけどの傷に集ってくる大きな蝿を、夜通しうちわで追い続けた | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局1階宿直室 | |
108 | SG-0249 | たくさんの遺体が重ね、焼かれた | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局工事宿直室 | |
109 | SG-0244 | たくさんの人の遺体 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局前庭右に大きな防火用水槽 | |
110 | SG-0248 | まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局前 | |
111 | SG-0246 | 机の下に倒れていた人を助ける | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/7 | 広島中央電話局西分局3階事務室 | |
112 | SG-0245 | 胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略) | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局1階通路 | |
113 | GE27-29 | 校舎は全壊し、級友たちは校庭一面に倒れていた。 | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 市立中学校校庭 | |
114 | NG354-06 | 被爆の3日後、己斐から西天満町間で初めて路面電車が動く。復旧一番電車で車掌として乗務した。 | 堀本 春野(ホリモト ハルノ) | 1945/8/9 | 己斐から西天満町までの路面電車の中 | |
115 | GE39-36 | 防火用水槽の死体、焼け跡に立つ鳥居 | 三戸 昇(ミト ノボル) | 1945/8/6 | 左官町高木しるこ店付近 | |
116 | NG241 | 警防団や兵隊さんが焼け跡から死体を集めていた。焼けて男女の見分けもつかなかった。 | 河野 寛治(コウノ ヒロハル) | 1945/8/9 | 左官町電停前 | |
117 | NG188-02 | 腸が飛び出した牛。耳と目を押さえふせた姿勢の死体。幼児をしっかりと抱きかかえた死体。 | 藤本 英雄(フジモト ヒデオ) | 1945/8/7 | 左官町付近 | |
118 | GE36-22 | 防火用水槽の死体、かたわらで水を求める人 | 佐々木 博(ササキ ヒロシ) | 1945/8/6 | 左官町付近 | |
119 | GE30-37 | 左官町妙頂寺山門の黒焦げの死体の山 | 上藤 軍六(ウエトウ グンロク) | 1945/8/7 | 左官町、相生橋 | |
120 | WH08-022 | 原爆投下前日までの左官町の図 | 上藤 軍六(ウエトウ グンロク) | 1945/8/5 | 左官町 |