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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 264 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
101 GE26-05 建物の下敷になった人を助けだそうとする 前迫 シズエ(マエサコ シズエ) 1945/8/6 広瀬
102 GE06-38 地下豪入口で30人余りの人が血だらけで折り重なり死んでいた 小橋 染春(コバシ ソメハル) 1945/8/6 広島憲兵分隊(光道学校)地下ごう入口
103 SG-0001 家の下敷になって助けを求める母子 1945/8/6 広島市中広町中国配電三篠変電所近く
104 NG419 必死に倒壊した家から這い出すと、道路は横川方面に向けて避難している人でいっぱいだった。 松富 光子(マツトミ ミツコ) 1945/8/6 広島別院前
105 WH13-035 広島別院 小野 勝(オノ マサル) 広島別院
106 SG-0247 やけどの傷に集ってくる大きな蝿を、夜通しうちわで追い続けた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階宿直室
107 SG-0249 たくさんの遺体が重ね、焼かれた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局工事宿直室
108 SG-0244 たくさんの人の遺体 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前庭右に大きな防火用水槽
109 SG-0248 まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前
110 SG-0246 机の下に倒れていた人を助ける 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/7 広島中央電話局西分局3階事務室
111 SG-0245 胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略) 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階通路
112 GE27-29 校舎は全壊し、級友たちは校庭一面に倒れていた。 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) 1945/8/6 市立中学校校庭
113 NG354-06 被爆の3日後、己斐から西天満町間で初めて路面電車が動く。復旧一番電車で車掌として乗務した。 堀本 春野(ホリモト ハルノ) 1945/8/9 己斐から西天満町までの路面電車の中
114 GE39-36 防火用水槽の死体、焼け跡に立つ鳥居 三戸 昇(ミト ノボル) 1945/8/6 左官町高木しるこ店付近
115 NG241 警防団や兵隊さんが焼け跡から死体を集めていた。焼けて男女の見分けもつかなかった。 河野 寛治(コウノ ヒロハル) 1945/8/9 左官町電停前
116 NG188-02 腸が飛び出した牛。耳と目を押さえふせた姿勢の死体。幼児をしっかりと抱きかかえた死体。 藤本 英雄(フジモト ヒデオ) 1945/8/7 左官町付近
117 GE36-22 防火用水槽の死体、かたわらで水を求める人 佐々木 博(ササキ ヒロシ) 1945/8/6 左官町付近
118 GE30-37 左官町妙頂寺山門の黒焦げの死体の山 上藤 軍六(ウエトウ グンロク) 1945/8/7 左官町、相生橋
119 WH08-022 原爆投下前日までの左官町の図 上藤 軍六(ウエトウ グンロク) 1945/8/5 左官町
120 WH07-023 左官町付近で路面電車のポールの方向替えをする車掌さん 八木 實(ヤギ ミノル) 昭和初期 左官町

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