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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 264 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
81 GE42-24 川中の死体を引揚げ火葬する 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) 1945/8/10頃 広瀬町
82 GE25-34 橋のたもとの死体、くすぶる橋 三戸 昇(ミト ノボル) 1945/8/6 広瀬橋西詰
83 WH13-025 広瀬橋付近の遊泳場 八木 實(ヤギ ミノル) 広瀬橋付近の遊泳場
84 SG-0242 荷台で亡くなった人と、背中に火傷を負って逃げ走る馬 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広瀬橋の手前の道
85 GE36-41 木の電柱の中間が燃えていた 古林 広自(フルバヤシ ヒロジ) 1945/8/6 広瀬橋から己斐方面へ50mの所
86 GE28-04 爆風でこわれた橋を渡る。血で橋桁は赤くなり、欄干は燃えていた 古林 広自(フルバヤシ ヒロジ) 1945/8/6 広瀬橋
87 WH08-009 広瀬小学校の四恩山と池 岩本 恒子(イワモト ツネコ) 広瀬小学校の四恩山と池
88 SG-0539 倒壊した建物の下敷きになった人々 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 広瀬国民学校講堂
89 SG-0535 倒壊した建物の下敷になって亡くなった兄 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校講堂
90 SG-0297 倒壊した建物の下敷になって亡くなった兄 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校講堂
91 NG045-04 瓦礫が散乱しているため、倒壊した土塀の上を歩いた。人が下敷きになっているようだった。 中田 義明(ナカタ ヨシアキ) 1945/8/7 広瀬国民学校と天満橋の中間あたり
92 SG-0220 作者の兄の木村豊さん(当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。豊さんは防衛招集を受け、(後半省略) 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校
93 SG-0219 作者の兄の木村豊さん(当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 広瀬国民学校
94 NG311-01 山の手に逃げようとしたが火の手が上がり始めた。どうしようもなく川辺へ避難し当てもなく川を見ていた。 脇中 悦子(ワキナカ エツコ) 1945/8/6 広瀬北町
95 GE36-30 こわれた市電の中の生き残った人々が助けてくれと叫び続けていた。 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク) 広瀬北町
96 GE31-39 防空ごうの中に人形のように蒸焼きになった死者たち、天満川の死体 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 1945/8/7 広瀬北町
97 GE27-40 水漕の女の人の死体 、広瀬町被災状況 岩本 恒子(イワモト ツネコ) 1945/8/8 広瀬北町
98 GE21-24 広瀬北町の復元図 伊藤 庫敏(イトウ コトシ) 広瀬北町
99 GE21-18 広瀬北町の復元図 伊藤 庫敏(イトウ コトシ) 1945/8/6 広瀬北町
100 GE21-23 広瀬元町の復元図 伊藤 庫敏(イトウ コトシ) 広瀬元町

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