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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 264 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1 GE27-41 鷹匠町、空鞘町の川土手の焼死体 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 1945/8/8 鷹匠町、空鞘町の川土手
2 GE44-16 金棒を両手で握りしめ目は開けたままの子供の死体 村上 利(ムラカミ トシ) 1945/8/7 鷹匠町
3 GE01-25 3日目まだくすぶり続ける焼け跡の中、男女の判別もつかない多くの死体を警防団員が火葬していた 畑 三郎(ハタ サブロウ) 1945/8/9 鷹匠町
4 GE43-26 沢山の人が死んでいるのを大八車の上から見る 木原 フミ子(キハラ フミコ) 観音町付近
5 GE11-14 2人の子供を抱いたまま焼死した母親 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 観音町付近
6 GE30-38 身体中にガラスの破片がささり、さまよう男 平田 勝(ヒラタ マサル) 1945/8/6 観音町
7 WH01-007 観音尋常高等小学校 前迫 シズエ(マエサコ シズエ) 大正初期 観音国民学校
8 WH08-043 観音のやぶの稲荷神社 前迫 シズエ(マエサコ シズエ) 観音のやぶの稲荷神社
9 NG198 川土手に出て逃げようとすると黒い雨が降り出した。途中軍隊のトラックの荷台に乗せてもらう。 西本 澄子(ニシモト スミコ) 1945/8/6 西観音町一丁目
10 GE31-31 あちらこちらに残る遺骨 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) 1946/1/ 西新町
11 GE19-04-1 燃える家の下敷になって死んだ母 西本 好子(ニシモト ヨシコ) 1945/8/6 西引御堂町の自宅
12 GE06-14 倒れた柱の下敷きになり、炎の中で子どもたちは母親を呼ぶ 西田 輝美(ニシダ テルミ) 1945/8/6 西引御堂町
13 GE27-43 福島川周辺で火葬されトタン板に並べられた遺骨が竜巻で一瞬のうちに舞い上がる 木原 道子(キハラ ミチコ) 1945/8/20過ぎ 西天満町(現天満町 岩崎ビルの敷地)
14 GE43-43 動かない馬、半壊した自宅へ戻り、母と共に逃げる 秦 進一(ハタ シンイチ) 1945/8/6 西天満町
15 NG442 空鞘神社付近から原爆ドームに向けて撮った写真を図案化したもの。 秋田 サチヱ(アキタ サチエ) 1999頃 空鞘稲荷神社付近
16 WH11-070 空鞘神社の大樹 上田 静人(ウエダ シズト) 空鞘神社
17 GE05-40 川沿いに倒れすわり込む人々、知り合いがいて己斐へ逃げようと誘ったが家族が迎えに来るからと留まった。 西林 進(ニシバヤシ ススム) 1945/8/7 空鞘町土手筋
18 GE39-27 土手と川中の死体 才野 マツ子(サイノ マツコ) 1945/8/8 空鞘町土手
19 NG161 動員先からようやく我が家にたどりつく。家は消滅し、付近には、無数の死体が横たわり異臭を放っていた。 土井 篤(ドイ アツシ) 1945/8/7 空鞘町
20 GE10-13 兄妹を捜して焼け跡を歩く 才野 マツ子(サイノ マツコ) 1945/8/8 空鞘町

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