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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 265 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
161 NG419 必死に倒壊した家から這い出すと、道路は横川方面に向けて避難している人でいっぱいだった。 松富 光子(マツトミ ミツコ) 1945/8/6 広島別院前
162 SG-0001 家の下敷になって助けを求める母子 1945/8/6 広島市中広町中国配電三篠変電所近く
163 GE06-38 地下豪入口で30人余りの人が血だらけで折り重なり死んでいた 小橋 染春(コバシ ソメハル) 1945/8/6 広島憲兵分隊(光道学校)地下ごう入口
164 GE26-05 建物の下敷になった人を助けだそうとする 前迫 シズエ(マエサコ シズエ) 1945/8/6 広瀬
165 GE21-23 広瀬元町の復元図 伊藤 庫敏(イトウ コトシ) 広瀬元町
166 GE21-18 広瀬北町の復元図 伊藤 庫敏(イトウ コトシ) 1945/8/6 広瀬北町
167 GE21-24 広瀬北町の復元図 伊藤 庫敏(イトウ コトシ) 広瀬北町
168 GE27-40 水漕の女の人の死体 、広瀬町被災状況 岩本 恒子(イワモト ツネコ) 1945/8/8 広瀬北町
169 GE31-39 防空ごうの中に人形のように蒸焼きになった死者たち、天満川の死体 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 1945/8/7 広瀬北町
170 GE36-30 こわれた市電の中の生き残った人々が助けてくれと叫び続けていた。 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク) 広瀬北町
171 NG311-01 山の手に逃げようとしたが火の手が上がり始めた。どうしようもなく川辺へ避難し当てもなく川を見ていた。 脇中 悦子(ワキナカ エツコ) 1945/8/6 広瀬北町
172 SG-0219 作者の兄の木村豊さん(当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 広瀬国民学校
173 SG-0220 作者の兄の木村豊さん(当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。豊さんは防衛招集を受け、(後半省略) 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校
174 NG045-04 瓦礫が散乱しているため、倒壊した土塀の上を歩いた。人が下敷きになっているようだった。 中田 義明(ナカタ ヨシアキ) 1945/8/7 広瀬国民学校と天満橋の中間あたり
175 SG-0297 倒壊した建物の下敷になって亡くなった兄 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校講堂
176 SG-0535 倒壊した建物の下敷になって亡くなった兄 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校講堂
177 SG-0539 倒壊した建物の下敷きになった人々 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 広瀬国民学校講堂
178 WH08-009 広瀬小学校の四恩山と池 岩本 恒子(イワモト ツネコ) 広瀬小学校の四恩山と池
179 GE28-04 爆風でこわれた橋を渡る。血で橋桁は赤くなり、欄干は燃えていた 古林 広自(フルバヤシ ヒロジ) 1945/8/6 広瀬橋
180 GE36-41 木の電柱の中間が燃えていた 古林 広自(フルバヤシ ヒロジ) 1945/8/6 広瀬橋から己斐方面へ50mの所

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