地図 "十日市・中広地区" で 265 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
141 | SG-0553 | 建物疎開作業の様子 | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945 | 小網町付近 | |
142 | GE34-07 | 船の助けを待つ草津義勇隊の被災者 | 播本 啓次郎(ハリモト ケイジロウ) | 1945/8/6 | 小網町堤防 | |
143 | GE40-37 | 焼けただれ野積みされた死体 | 増田 節雄(マスダ セツオ) | 1945/8/7 | 小網町電停付近 | |
144 | GE24-28 | 防火用水漕の中の若い女の死体と馬車馬の死体 | 溝上 勝馬(ミゾウエ カツマ) | 1945/8/9 | 左官町 | |
145 | WH07-023 | 左官町付近で路面電車のポールの方向替えをする車掌さん | 八木 實(ヤギ ミノル) | 昭和初期 | 左官町 | |
146 | WH08-022 | 原爆投下前日までの左官町の図 | 上藤 軍六(ウエトウ グンロク) | 1945/8/5 | 左官町 | |
147 | GE30-37 | 左官町妙頂寺山門の黒焦げの死体の山 | 上藤 軍六(ウエトウ グンロク) | 1945/8/7 | 左官町、相生橋 | |
148 | GE36-22 | 防火用水槽の死体、かたわらで水を求める人 | 佐々木 博(ササキ ヒロシ) | 1945/8/6 | 左官町付近 | |
149 | NG188-02 | 腸が飛び出した牛。耳と目を押さえふせた姿勢の死体。幼児をしっかりと抱きかかえた死体。 | 藤本 英雄(フジモト ヒデオ) | 1945/8/7 | 左官町付近 | |
150 | NG241 | 警防団や兵隊さんが焼け跡から死体を集めていた。焼けて男女の見分けもつかなかった。 | 河野 寛治(コウノ ヒロハル) | 1945/8/9 | 左官町電停前 | |
151 | GE39-36 | 防火用水槽の死体、焼け跡に立つ鳥居 | 三戸 昇(ミト ノボル) | 1945/8/6 | 左官町高木しるこ店付近 | |
152 | NG354-06 | 被爆の3日後、己斐から西天満町間で初めて路面電車が動く。復旧一番電車で車掌として乗務した。 | 堀本 春野(ホリモト ハルノ) | 1945/8/9 | 己斐から西天満町までの路面電車の中 | |
153 | GE27-29 | 校舎は全壊し、級友たちは校庭一面に倒れていた。 | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 市立中学校校庭 | |
154 | SG-0245 | 胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略) | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局1階通路 | |
155 | SG-0246 | 机の下に倒れていた人を助ける | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/7 | 広島中央電話局西分局3階事務室 | |
156 | SG-0248 | まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局前 | |
157 | SG-0244 | たくさんの人の遺体 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局前庭右に大きな防火用水槽 | |
158 | SG-0249 | たくさんの遺体が重ね、焼かれた | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局工事宿直室 | |
159 | SG-0247 | やけどの傷に集ってくる大きな蝿を、夜通しうちわで追い続けた | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局1階宿直室 | |
160 | WH13-035 | 広島別院 | 小野 勝(オノ マサル) | 広島別院 |