地図 "十日市・中広地区" で 265 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
101 | GE02-37 | 被爆した我が子に出会い知人の自転車の荷台に乗せた瞬間息を引き取る | 古川 静江(フルカワ シズエ) | 1945/8/7 | 広瀬神社前電車通り | |
102 | GE02-27 | 燃える死体 | 原田 義諦(ハラダ ギタイ) | 1945/8/7 | 土橋電停近く | |
103 | GE01-14 | 火災で半黒焦げになった母子の死体 | 中田 伍一(ナカタ ゴイチ) | 1945/8/7 | 横堀町 | |
104 | NG303-01 | 焼けただれた体で水を求めて川に入り力つきて亡くなった動員学徒たち。その中に妹を見つける。 | 松本 秀子(マツモト ヒデコ) | 1945/8/6か、8/7 | 土橋付近の天満川 | |
105 | SG-0551 | 小網町の建物疎開作業現場に向かう途中、B29が原爆を投下した瞬間を見る | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/6 | 天満町 福島川土手 | |
106 | SG-0550 | 建物疎開作業に向かう途中で被爆し、助けを求める草津国民学校の生徒たち | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/6 | 天満町 福島川土手 | |
107 | SG-0549 | 建物疎開作業に向かう途中で被爆し、助けを求める草津国民学校の生徒たち | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/6 | 天満町 福島川土手 | |
108 | SG-0547 | 小網町の建物疎開現場に向かう途中、原爆の閃光と熱線を浴びる草津国民学校の生徒たち | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/6 | 天満町 福島川土手 | |
109 | SG-0541 | 建物疎開作業に向かう途中で被爆し、助けを求める草津国民学校の生徒たち | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/6 | 天満町 福島川土手 | |
110 | SG-0539 | 倒壊した建物の下敷きになった人々 | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/6 | 広瀬国民学校講堂 | |
111 | SG-0363 | 帽子をかぶっていたところだけ髪の毛が残り、背中は血だらけの男性に、ボロ布(きれ)のようなものを拾い集めて当ててあげている女性 | 杉本 信夫(スギモト シノブ) | 1945/8/6 | ||
112 | SG-0285 | 倒壊した梁にはさまれた二人の男性。 | 杉本 信夫(スギモト シノブ) | 1945/8/6 | 東洋製罐株式会社 | |
113 | SG-0284 | 角材が腹部に突き刺さって亡くなった男性 | 杉本 信夫(スギモト シノブ) | 1945/8/6 | 東洋製罐株式会社正門付近 | |
114 | SG-0249 | たくさんの遺体が重ね、焼かれた | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局工事宿直室 | |
115 | SG-0248 | まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局前 | |
116 | SG-0247 | やけどの傷に集ってくる大きな蝿を、夜通しうちわで追い続けた | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局1階宿直室 | |
117 | SG-0245 | 胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略) | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局1階通路 | |
118 | SG-0244 | たくさんの人の遺体 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局前庭右に大きな防火用水槽 | |
119 | SG-0243 | 火に追われ川へ落ちる人々。焼け落ちる家。 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 天満川の土堤 | |
120 | SG-0242 | 荷台で亡くなった人と、背中に火傷を負って逃げ走る馬 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広瀬橋の手前の道 |