地図 "十日市・中広地区" で 265 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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GE27-43 | 福島川周辺で火葬されトタン板に並べられた遺骨が竜巻で一瞬のうちに舞い上がる | 木原 道子(キハラ ミチコ) | 1945/8/20過ぎ | 西天満町(現天満町 岩崎ビルの敷地) |
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GE11-48 | 仮救護所内の被爆者 | 増田 辰男(マスダ タツオ) | 1945/8/18頃 | 中央橋土手下の仮救護所 |
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NG204-05 | 人だかりがあり、近寄ってみると不思議と手押しポンプが生きていて水が出た。 | 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) | 1945/8/14 | 相生橋西 |
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GE23-16 | 焼け跡で母親と妹達を捜す。 2個の指輪で、姉妹の死を確認 | 井上 愛子(イノウエ アイコ) | 1945/8/13 | 堺町一丁目20番の実家 |
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SG-0535 | 倒壊した建物の下敷になって亡くなった兄 | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/12 | 広瀬国民学校講堂 |
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SG-0297 | 倒壊した建物の下敷になって亡くなった兄 | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/12 | 広瀬国民学校講堂 |
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SG-0220 | 作者の兄の木村豊さん(当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。豊さんは防衛招集を受け、(後半省略) | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/12 | 広瀬国民学校 |
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NG165-07 | 橋下の水面の多くの流木の間に赤く腫れ上がった数体の遺体が浮かんでいた。 | 駒田 保(コマダ タモツ) | 1945/8/11 | 天満橋東詰橋下 |
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GE07-27 | 収容した死体を焼残りの木材で焼き、瓦の上に並べる | 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) | 1945/8/11 | 寺町付近 |
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GE04-30 | 防火用水槽の親子の死体 | 藤本 四郎(フジモト シロウ) | 1945/8/11 | 油屋町 |
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GE42-24 | 川中の死体を引揚げ火葬する | 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) | 1945/8/10頃 | 広瀬町 |
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GE15-14 | 焼け落ちた家の石段に倒れている眼球の飛び出した子ども | 藤本 仁一(フジモト ジンイチ) | 1945/8/10 | 土橋付近 |
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SG-0357 | 自宅焼け跡。復興の旗を立てる父。(小原一家原爆の絵連作2) | 小原 芳郎(オバラ ヨシロウ) | 1945/8 | |
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SG-0408 | 十日市町附近より横川方面を見る | 松田 尚鐵(マツダ ナオテツ) | 1945/12/21 | 十日市町から横川方面 |
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GE26-46 | 叔母夫婦はカン詰の中で遺骨となっていた、近所の人が世話をしてくれた | 田中 岩夫(タナカ イワオ) | 1945/10/19 | 天満町 |
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SG-0553 | 建物疎開作業の様子 | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945 | 小網町付近 |
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WH13-035 | 広島別院 | 小野 勝(オノ マサル) | 広島別院 | |
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WH13-025 | 広瀬橋付近の遊泳場 | 八木 實(ヤギ ミノル) | 広瀬橋付近の遊泳場 | |
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WH11-070 | 空鞘神社の大樹 | 上田 静人(ウエダ シズト) | 空鞘神社 | |
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WH11-041 | 寺町、鷹匠町周辺 | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) | 寺町、鷹匠町界わい |