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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 264 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
141 SG-0009-4 被爆体験を描いたスケッチブック(4/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 天満川 広電鉄橋
142 SG-0009-5 被爆体験を描いたスケッチブック(5/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 東洋製罐広島工場付近
143 SG-0009-6 被爆体験を描いたスケッチブック(6/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 福島町電停
144 SG-0009-8 被爆体験を描いたスケッチブック(8/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 土橋付近
145 SG-0219 作者の兄の木村豊さん(当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 広瀬国民学校
146 SG-0242 荷台で亡くなった人と、背中に火傷を負って逃げ走る馬 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広瀬橋の手前の道
147 SG-0243 火に追われ川へ落ちる人々。焼け落ちる家。 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 天満川の土堤
148 SG-0244 たくさんの人の遺体 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前庭右に大きな防火用水槽
149 SG-0245 胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略) 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階通路
150 SG-0247 やけどの傷に集ってくる大きな蝿を、夜通しうちわで追い続けた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階宿直室
151 SG-0248 まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前
152 SG-0249 たくさんの遺体が重ね、焼かれた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局工事宿直室
153 SG-0284 角材が腹部に突き刺さって亡くなった男性 杉本 信夫(スギモト シノブ) 1945/8/6 東洋製罐株式会社正門付近
154 SG-0285 倒壊した梁にはさまれた二人の男性。 杉本 信夫(スギモト シノブ) 1945/8/6 東洋製罐株式会社
155 SG-0363 帽子をかぶっていたところだけ髪の毛が残り、背中は血だらけの男性に、ボロ布(きれ)のようなものを拾い集めて当ててあげている女性 杉本 信夫(スギモト シノブ) 1945/8/6
156 SG-0539 倒壊した建物の下敷きになった人々 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 広瀬国民学校講堂
157 SG-0541 建物疎開作業に向かう途中で被爆し、助けを求める草津国民学校の生徒たち 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 天満町 福島川土手
158 SG-0547 小網町の建物疎開現場に向かう途中、原爆の閃光と熱線を浴びる草津国民学校の生徒たち 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 天満町 福島川土手
159 SG-0549 建物疎開作業に向かう途中で被爆し、助けを求める草津国民学校の生徒たち 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 天満町 福島川土手
160 SG-0550 建物疎開作業に向かう途中で被爆し、助けを求める草津国民学校の生徒たち 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 天満町 福島川土手

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