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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 265 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
21 WH05-006 福島小学校 笹口 泉(ササグチ イズミ) 福島小学校
22 WH05-024 福島川電車鉄橋 笹口 泉(ササグチ イズミ) 福島川電車鉄橋
23 WH08-009 広瀬小学校の四恩山と池 岩本 恒子(イワモト ツネコ) 広瀬小学校の四恩山と池
24 WH08-013 新市町の青果物市場 樽本 叡(タルモト サトシ) 新市町の卸売市場
25 WH08-043 観音のやぶの稲荷神社 前迫 シズエ(マエサコ シズエ) 観音のやぶの稲荷神社
26 WH11-041 寺町、鷹匠町周辺 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 寺町、鷹匠町界わい
27 WH11-070 空鞘神社の大樹 上田 静人(ウエダ シズト) 空鞘神社
28 WH13-025 広瀬橋付近の遊泳場 八木 實(ヤギ ミノル) 広瀬橋付近の遊泳場
29 WH13-035 広島別院 小野 勝(オノ マサル) 広島別院
30 SG-0553 建物疎開作業の様子 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945 小網町付近
31 GE26-46 叔母夫婦はカン詰の中で遺骨となっていた、近所の人が世話をしてくれた 田中 岩夫(タナカ イワオ) 1945/10/19 天満町
32 SG-0408 十日市町附近より横川方面を見る 松田 尚鐵(マツダ ナオテツ) 1945/12/21 十日市町から横川方面
33 SG-0357 自宅焼け跡。復興の旗を立てる父。(小原一家原爆の絵連作2) 小原 芳郎(オバラ ヨシロウ) 1945/8
34 GE15-14 焼け落ちた家の石段に倒れている眼球の飛び出した子ども 藤本 仁一(フジモト ジンイチ) 1945/8/10 土橋付近
35 GE42-24 川中の死体を引揚げ火葬する 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) 1945/8/10頃 広瀬町
36 GE04-30 防火用水槽の親子の死体 藤本 四郎(フジモト シロウ) 1945/8/11 油屋町
37 GE07-27 収容した死体を焼残りの木材で焼き、瓦の上に並べる 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/11 寺町付近
38 NG165-07 橋下の水面の多くの流木の間に赤く腫れ上がった数体の遺体が浮かんでいた。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/11 天満橋東詰橋下
39 SG-0220 作者の兄の木村豊さん(当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。豊さんは防衛招集を受け、(後半省略) 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校
40 SG-0297 倒壊した建物の下敷になって亡くなった兄 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校講堂

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