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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 265 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
241 GE28-24 トラック一杯に積み上げられた黒焦げの死体 近藤 幸子(コンドウ サチコ) 1945/8/9 榎町
242 GE32-28 焼け跡の座ったままの白骨死体 藤本 四郎(フジモト シロウ) 1945/8/9 油屋町吉中氷店
243 GE32-38 トビ口で川の中の死体を引き上げる 坂谷 益於(サカタニ マスオ) 1945/8/9 天満橋
244 GE42-25 崩れた家屋から這い出ようとしたまま亡くなった人 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) 1945/8/9 寺町付近(電車通り側)
245 NG241 警防団や兵隊さんが焼け跡から死体を集めていた。焼けて男女の見分けもつかなかった。 河野 寛治(コウノ ヒロハル) 1945/8/9 左官町電停前
246 NG354-06 被爆の3日後、己斐から西天満町間で初めて路面電車が動く。復旧一番電車で車掌として乗務した。 堀本 春野(ホリモト ハルノ) 1945/8/9 己斐から西天満町までの路面電車の中
247 SG-0773 8月9日早朝の寺町、横川橋付近(広島県庁に勤務する姉を捜して入市) 藤川 暁(フジカワ ギョウ) 1945/8/9 横川橋付近
248 NG064 がれきの街でリヤカーを引き中学生の息子を捜す夫婦。黒焦げの死体の口や股間からは内臓が飛び出ていた。 村田 満久(ムラタ ミチヒサ) 1945/8/9か、8/10 寺町
249 GE04-35 焼け跡に散乱した白骨と機械部品 下村 儀三(シモムラ ギソウ) 1945/8/中旬 東洋製罐広島兵器製作所
250 GE01-40 焼けトタンのバラックに娘さんはウジをわかせて寝ていた 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/9/3 中広町
251 GE05-48 道端に骨を拾う家族もないのか長い間道行く人を眺めていた白骨 辻岡 孝子(ツジオカ タカコ) 1945/9/中旬 十日市町
252 GE31-31 あちらこちらに残る遺骨 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) 1946/1/ 西新町
253 GE33-31 本願寺派広島別院の情景 山本 正人(ヤマモト マサト) 1946/2/20 本願寺派広島別院
254 NG442 空鞘神社付近から原爆ドームに向けて撮った写真を図案化したもの。 秋田 サチヱ(アキタ サチエ) 1999頃 空鞘稲荷神社付近
255 WH06-024 広瀬神社の秋祭り 古川 正一(フルカワ ショウイチ) 9、10月頃 広瀬神社
256 WH08-010 広瀬神社の秋祭り 岩本 恒子(イワモト ツネコ) 大正 広瀬神社
257 WH14-078 天満川の思い出 古川 正一(フルカワ ショウイチ) 大正10年頃夏 天満町天満川付近
258 WH06-021 冬の三光寺境内の少年時代の思い出 古川 正一(フルカワ ショウイチ) 大正9、10年頃 小網町三光寺
259 WH01-007 観音尋常高等小学校 前迫 シズエ(マエサコ シズエ) 大正初期 観音国民学校
260 WH14-151 天満町電車専用橋 辰井 博務(タツイ ヒロム) 大正初期 天満町電車専用橋

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