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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 264 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
41 SG-0248 まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前
42 SG-0247 やけどの傷に集ってくる大きな蝿を、夜通しうちわで追い続けた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階宿直室
43 SG-0246 机の下に倒れていた人を助ける 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/7 広島中央電話局西分局3階事務室
44 SG-0245 胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略) 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階通路
45 SG-0244 たくさんの人の遺体 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前庭右に大きな防火用水槽
46 SG-0243 火に追われ川へ落ちる人々。焼け落ちる家。 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 天満川の土堤
47 SG-0242 荷台で亡くなった人と、背中に火傷を負って逃げ走る馬 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広瀬橋の手前の道
48 SG-0220 作者の兄の木村豊さん(当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。豊さんは防衛招集を受け、(後半省略) 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校
49 SG-0219 作者の兄の木村豊さん(当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 広瀬国民学校
50 SG-0031 十日市付近 小尻 勉(コジリ ツトム) 十日市付近
51 SG-0018 広瀬神社付近 小尻 勉(コジリ ツトム) 広瀬神社付近
52 SG-0009-8 被爆体験を描いたスケッチブック(8/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 土橋付近
53 SG-0009-6 被爆体験を描いたスケッチブック(6/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 福島町電停
54 SG-0009-5 被爆体験を描いたスケッチブック(5/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 東洋製罐広島工場付近
55 SG-0009-4 被爆体験を描いたスケッチブック(4/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 天満川 広電鉄橋
56 SG-0009-1 被爆体験を描いたスケッチブック(1/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 土橋 小網町
57 SG-0001 家の下敷になって助けを求める母子 1945/8/6 広島市中広町中国配電三篠変電所近く
58 NG461 顔の皮膚がはげ裸で手足の焼けただれた女学生。「水をちょうだい」と頼まれるが何もしてあげられなかった。 大本 八千代(オオモト ヤチヨ) 1945/8/6 福島川土手
59 NG442 空鞘神社付近から原爆ドームに向けて撮った写真を図案化したもの。 秋田 サチヱ(アキタ サチエ) 1999頃 空鞘稲荷神社付近
60 NG419 必死に倒壊した家から這い出すと、道路は横川方面に向けて避難している人でいっぱいだった。 松富 光子(マツトミ ミツコ) 1945/8/6 広島別院前

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