地図 "十日市・中広地区" で 264 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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181 | GE32-30 | 砂ぼこりの中に馬は目をとじて動かなかった | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 中広町一丁目 | |
182 | GE26-42 | 火が燃え始めた。家に閉じ込められた人をどうしても救いだすことができなかった | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 天満町 | |
183 | GE11-50 | 翌日でも焼け残りの家がまだ焼けている。女の人が倒れているが、誰も助けようとしない。 | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/7 | 十日市町 | |
184 | GE10-15 | モンペと下駄をもらって子供を捜しに行く。目がよく見えず四つん這いになって鉄橋を渡る。 | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/7 | 天満町電車専用橋 | |
185 | GE04-03 | 窓一杯に光をみた 気がついたら家の下敷きとなって身動きもできなかった | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 中広町の自宅 | |
186 | GE01-40 | 焼けトタンのバラックに娘さんはウジをわかせて寝ていた | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/9/3 | 中広町 | |
187 | GE01-12 | グッタリした赤ん坊をだいた夫が動けなくなった妻の手をひいて元気づける | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 中広町一丁目 | |
188 | GE01-33 | トタン板の上に死体を重ねて火葬している兵隊 | 太田 勝子(オオタ カツコ) | 1945/8/8 | 小綱町付近 | |
189 | GE38-44 | 捜していた妹と出会う | 大田 晴代(オオタ ハルヨ) | 1945/8/6 | 土橋付近 | |
190 | NG461 | 顔の皮膚がはげ裸で手足の焼けただれた女学生。「水をちょうだい」と頼まれるが何もしてあげられなかった。 | 大本 八千代(オオモト ヤチヨ) | 1945/8/6 | 福島川土手 | |
191 | GE36-14 | 防火用水槽の中年の男の死体 黒こげの赤ちゃんをだいた婦人 | 大山 節夫(オオヤマ セツオ) | 1945/8/7 | 十日市交差点付近 | |
192 | GE35-22 | 並んで死んでいた中学生 川の材木にひっかかっている死体、河原にたおれている人 | 大山 節夫(オオヤマ セツオ) | 1945/8/7 | 天満橋付近 | |
193 | NG062-02 | 焼け野原となり電車の残骸が見えた。皮膚がぶら下がり、目玉が飛び出し頭が割れた人々が右往左往していた。 | 大場 孝子(オオバ タカコ) | 1945/8/6 | 東洋製罐広島兵器製作所 | |
194 | NG062-01 | 工場入口でピカーと大きく広がった青い光。その瞬間工場はつぶれていた。 | 大場 孝子(オオバ タカコ) | 1945/8/6 | 東洋製罐広島兵器製作所 | |
195 | GE34-29 | 川を流れる死体、道端で死んでいる人や馬 | 大倉 キミヨ(オオクラ キミヨ) | 1945/8/8~8/9頃 | 福島橋付近 | |
196 | GE11-48 | 仮救護所内の被爆者 | 増田 辰男(マスダ タツオ) | 1945/8/18頃 | 中央橋土手下の仮救護所 | |
197 | GE40-37 | 焼けただれ野積みされた死体 | 増田 節雄(マスダ セツオ) | 1945/8/7 | 小網町電停付近 | |
198 | GE30-18 | 八百屋の焼け跡と思われるところで半焼けの南瓜をかじる親子 | 塚本 四一(ツカモト シイチ) | 1945/8/6 | 南三篠町 | |
199 | GE24-13 | 救護所に火傷の手当のため集まった負傷者の長蛇の列 | 塚本 四一(ツカモト シイチ) | 1945/8/6 | 南三篠町 | |
200 | NG354-06 | 被爆の3日後、己斐から西天満町間で初めて路面電車が動く。復旧一番電車で車掌として乗務した。 | 堀本 春野(ホリモト ハルノ) | 1945/8/9 | 己斐から西天満町までの路面電車の中 |