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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 265 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
61 NG122-02 つながれたまま木に寄りかかって死んでいる馬。 向井 健二郎(ムカイ ケンジロウ) 1945/8/7 榎町近く
62 NG161 動員先からようやく我が家にたどりつく。家は消滅し、付近には、無数の死体が横たわり異臭を放っていた。 土井 篤(ドイ アツシ) 1945/8/7 空鞘町
63 GE32-38 トビ口で川の中の死体を引き上げる 坂谷 益於(サカタニ マスオ) 1945/8/9 天満橋
64 NG354-01 上級生と2人で市内に母親を捜しに行く。半身しか焼けていない遺体を捜し出し遺骨を拾う。 堀本 春野(ホリモト ハルノ) 1945/8/7 土橋
65 NG354-06 被爆の3日後、己斐から西天満町間で初めて路面電車が動く。復旧一番電車で車掌として乗務した。 堀本 春野(ホリモト ハルノ) 1945/8/9 己斐から西天満町までの路面電車の中
66 GE24-13 救護所に火傷の手当のため集まった負傷者の長蛇の列 塚本 四一(ツカモト シイチ) 1945/8/6 南三篠町
67 GE30-18 八百屋の焼け跡と思われるところで半焼けの南瓜をかじる親子 塚本 四一(ツカモト シイチ) 1945/8/6 南三篠町
68 GE40-37 焼けただれ野積みされた死体 増田 節雄(マスダ セツオ) 1945/8/7 小網町電停付近
69 GE11-48 仮救護所内の被爆者 増田 辰男(マスダ タツオ) 1945/8/18頃 中央橋土手下の仮救護所
70 GE34-29 川を流れる死体、道端で死んでいる人や馬 大倉 キミヨ(オオクラ キミヨ) 1945/8/8~8/9頃 福島橋付近
71 NG062-01 工場入口でピカーと大きく広がった青い光。その瞬間工場はつぶれていた。 大場 孝子(オオバ タカコ) 1945/8/6 東洋製罐広島兵器製作所
72 NG062-02 焼け野原となり電車の残骸が見えた。皮膚がぶら下がり、目玉が飛び出し頭が割れた人々が右往左往していた。 大場 孝子(オオバ タカコ) 1945/8/6 東洋製罐広島兵器製作所
73 GE35-22 並んで死んでいた中学生 川の材木にひっかかっている死体、河原にたおれている人 大山 節夫(オオヤマ セツオ) 1945/8/7 天満橋付近
74 GE36-14 防火用水槽の中年の男の死体 黒こげの赤ちゃんをだいた婦人 大山 節夫(オオヤマ セツオ) 1945/8/7 十日市交差点付近
75 NG461 顔の皮膚がはげ裸で手足の焼けただれた女学生。「水をちょうだい」と頼まれるが何もしてあげられなかった。 大本 八千代(オオモト ヤチヨ) 1945/8/6 福島川土手
76 GE38-44 捜していた妹と出会う 大田 晴代(オオタ ハルヨ) 1945/8/6 土橋付近
77 GE01-33 トタン板の上に死体を重ねて火葬している兵隊 太田 勝子(オオタ カツコ) 1945/8/8 小綱町付近
78 GE01-12 グッタリした赤ん坊をだいた夫が動けなくなった妻の手をひいて元気づける 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/6 中広町一丁目
79 GE01-40 焼けトタンのバラックに娘さんはウジをわかせて寝ていた 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/9/3 中広町
80 GE04-03 窓一杯に光をみた 気がついたら家の下敷きとなって身動きもできなかった 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/6 中広町の自宅

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