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トップページ原爆の絵地図 "十日市・中広地区"

原爆の絵

地図 "十日市・中広地区" で 264 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
221 SG-0245 胸に桟が刺さり苦しむ女性。駆けつけた夫が桟を抜こうと引っ張るたび、「ギャーッ、ギャーッ」。(後半省略) 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階通路
222 SG-0246 机の下に倒れていた人を助ける 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/7 広島中央電話局西分局3階事務室
223 SG-0247 やけどの傷に集ってくる大きな蝿を、夜通しうちわで追い続けた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局1階宿直室
224 SG-0248 まだ生きていた女学生。兵士がトラックで連れ去るのを止めることができず、生涯心の傷として残った。 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局前
225 SG-0249 たくさんの遺体が重ね、焼かれた 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) 1945/8/6 広島中央電話局西分局工事宿直室
226 SG-0284 角材が腹部に突き刺さって亡くなった男性 杉本 信夫(スギモト シノブ) 1945/8/6 東洋製罐株式会社正門付近
227 SG-0285 倒壊した梁にはさまれた二人の男性。 杉本 信夫(スギモト シノブ) 1945/8/6 東洋製罐株式会社
228 SG-0297 倒壊した建物の下敷になって亡くなった兄 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校講堂
229 SG-0357 自宅焼け跡。復興の旗を立てる父。(小原一家原爆の絵連作2) 小原 芳郎(オバラ ヨシロウ) 1945/8
230 SG-0363 帽子をかぶっていたところだけ髪の毛が残り、背中は血だらけの男性に、ボロ布(きれ)のようなものを拾い集めて当ててあげている女性 杉本 信夫(スギモト シノブ) 1945/8/6
231 SG-0388 廃墟の広島 山田 耕司(ヤマダ コウジ)
232 SG-0408 十日市町附近より横川方面を見る 松田 尚鐵(マツダ ナオテツ) 1945/12/21 十日市町から横川方面
233 SG-0529 路面電車の中や壁の陰で日差しを避ける負傷者たち 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク) 1945/8/8 土橋
234 SG-0535 倒壊した建物の下敷になって亡くなった兄 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/12 広瀬国民学校講堂
235 SG-0539 倒壊した建物の下敷きになった人々 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 広瀬国民学校講堂
236 SG-0541 建物疎開作業に向かう途中で被爆し、助けを求める草津国民学校の生徒たち 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 天満町 福島川土手
237 SG-0547 小網町の建物疎開現場に向かう途中、原爆の閃光と熱線を浴びる草津国民学校の生徒たち 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 天満町 福島川土手
238 SG-0549 建物疎開作業に向かう途中で被爆し、助けを求める草津国民学校の生徒たち 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 天満町 福島川土手
239 SG-0550 建物疎開作業に向かう途中で被爆し、助けを求める草津国民学校の生徒たち 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 天満町 福島川土手
240 SG-0551 小網町の建物疎開作業現場に向かう途中、B29が原爆を投下した瞬間を見る 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 天満町 福島川土手

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