地図 "十日市・中広地区" で 265 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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201 | NG354-06 | 被爆の3日後、己斐から西天満町間で初めて路面電車が動く。復旧一番電車で車掌として乗務した。 | 堀本 春野(ホリモト ハルノ) | 1945/8/9 | 己斐から西天満町までの路面電車の中 | |
202 | NG358-01 | 遠くで火の手が上がっていた。けがをした人が川土手の方へ歩いて避難していた。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 1945/8/6 | 東洋製罐広島工場近くの川土手 | |
203 | NG358-02 | 河原に逃げた人たちに黒い雨が降り出した。重傷の女性教師が献身的に生徒たちの世話をしていた。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 1945/8/6 | 東洋製罐広島工場近くの河原 | |
204 | NG358-10 | 鉄橋がこわれたため天満川ははしけ舟で人々を運び路面電車と連絡した。そこには闇市ができにぎわった。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 天満町電車専用橋 | ||
205 | NG419 | 必死に倒壊した家から這い出すと、道路は横川方面に向けて避難している人でいっぱいだった。 | 松富 光子(マツトミ ミツコ) | 1945/8/6 | 広島別院前 | |
206 | NG442 | 空鞘神社付近から原爆ドームに向けて撮った写真を図案化したもの。 | 秋田 サチヱ(アキタ サチエ) | 1999頃 | 空鞘稲荷神社付近 | |
207 | NG461 | 顔の皮膚がはげ裸で手足の焼けただれた女学生。「水をちょうだい」と頼まれるが何もしてあげられなかった。 | 大本 八千代(オオモト ヤチヨ) | 1945/8/6 | 福島川土手 | |
208 | SG-0001 | 家の下敷になって助けを求める母子 | 1945/8/6 | 広島市中広町中国配電三篠変電所近く | ||
209 | SG-0009-1 | 被爆体験を描いたスケッチブック(1/11) | 木村 太矩次(キムラ タクジ) | 1945/8/6 | 土橋 小網町 | |
210 | SG-0009-4 | 被爆体験を描いたスケッチブック(4/11) | 木村 太矩次(キムラ タクジ) | 1945/8/6 | 天満川 広電鉄橋 | |
211 | SG-0009-5 | 被爆体験を描いたスケッチブック(5/11) | 木村 太矩次(キムラ タクジ) | 1945/8/6 | 東洋製罐広島工場付近 | |
212 | SG-0009-6 | 被爆体験を描いたスケッチブック(6/11) | 木村 太矩次(キムラ タクジ) | 1945/8/6 | 福島町電停 | |
213 | SG-0009-8 | 被爆体験を描いたスケッチブック(8/11) | 木村 太矩次(キムラ タクジ) | 1945/8/6 | 土橋付近 | |
214 | SG-0018 | 広瀬神社付近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 広瀬神社付近 | ||
215 | SG-0031 | 十日市付近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 十日市付近 | ||
216 | SG-0219 | 作者の兄の木村豊さん(当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。 | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/6 | 広瀬国民学校 | |
217 | SG-0220 | 作者の兄の木村豊さん(当時19歳)が被爆死した際の様子を描いたもの。豊さんは防衛招集を受け、(後半省略) | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/12 | 広瀬国民学校 | |
218 | SG-0242 | 荷台で亡くなった人と、背中に火傷を負って逃げ走る馬 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広瀬橋の手前の道 | |
219 | SG-0243 | 火に追われ川へ落ちる人々。焼け落ちる家。 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 天満川の土堤 | |
220 | SG-0244 | たくさんの人の遺体 | 藤重 忠子(フジシゲ タダコ) | 1945/8/6 | 広島中央電話局西分局前庭右に大きな防火用水槽 |