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原爆の絵

地図 "基町・白島地区" で 432 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
301 NG314-26 米軍機が来たので防空ごうにかくれた。中には5、6人いて無傷のようだったがみな死んでいた。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/7 八丁堀
302 NG040-01 米軍機搭乗員2名が腰かけていた。堀の中には軍馬の死体。 貞森 幹夫(サダモリ ミキオ) 1945/8/7 中国軍管区司令部
303 GE30-24 紙屋町電停より見た遺体の山 衣笠 正幸(キヌガサ マサユキ) 1945/8/7 西練兵場
304 WH04-019 紙屋町電車通りから宇品港に向かって出陣する歩兵部隊 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 西練兵場
305 WH11-024 緑に囲まれた広島城 岡 愛(オカ アイ) 広島城
306 NG040-03 練兵場で作業中に被爆した兵士たち。大やけどを負い、身体には、帯革と靴のみが残っている。 貞森 幹夫(サダモリ ミキオ) 1945/8/7 西練兵場
307 NG391-05 縮景園前の防火用水槽には多くの人々がむらがって顔や手を洗っていた。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 縮景園前の白島線電車通り
308 NG330 背中が焼けて川に浮いていたアユ。それを手づかみで取って配給のにぎり飯のおかずにして食べた。 内田 照彦(ウチダ テルヒコ) 1945/8/8 常葉橋
309 GE06-25 脱線した汽車と川に浮かぶ死体、川原や饒津公園に避難した多数の人々 松岡 泰三(マツオカ タイゾウ) 1945/8/10 常葉橋付近
310 GE36-08 脱線した貨車、常葉橋を渡る人々、川原のたくさんの負傷者たち 石井 チフ子(イシイ チフコ) 1945/8/6 常葉橋
311 GE08-39 脱線し川の中に落ちた列車 石川 新蔵(イシカワ シンゾウ) 1945/8/8 山陽本線神田川鉄橋
312 NG473-02 脱線・転覆した列車、水を求めて川辺に集まった人々、橋の上で助けを求める軍人 山形 明(ヤマガタ アキラ) 1945/8/7 常葉橋付近
313 NG121-02 自宅庭の防空ごうの中に、白骨化した頭蓋骨と半ば焼け焦げた首から下の死体が横たわっていた。 田坂 敏彦(タサカ トシヒコ) 1945/8/12 八丁堀の自宅
314 GE31-24 自転車に乗ったまま死んでいる男の人 吉本 春人(ヨシモト ハルト) 1945/8/7 三篠橋
315 NG212-01 舟を取りにいくために川に入って見た水没した死体。病院の入院患者らしく白い着物を着ていた。 泉原 寅男(イズハラ トラオ) 1945/8/8 中国軍管区工兵補充隊近くの川
316 NG362-02 萬行寺にいた人たちが声をたよりに私たちのところに集まってきた。同僚と手を握り抱き合って一夜を過ごした 沼田 鈴子(ヌマタ スズコ) 1945/8/6 広島逓信局
317 NG362-03 血とうみの臭いがただよいウジが負傷者の体をはいまわった。無麻酔で手術を受け足を切断した。 沼田 鈴子(ヌマタ スズコ) 1945/8/10 広島逓信局
318 GE27-35 街は一面の瓦礫で余燼がくすぶっていた 吉村 エイ(ヨシムラ エイ) 1945/8/9 八丁堀辺り
319 WH03-108 衛生兵として初入隊した広島第二陸軍病院正門前広場 内田 栄一(ウチダ エイイチ) 1945/5/10 広島第二陸軍病院
320 GE37-11 衣服は黒く焦げ皮膚がむけて血がにじんだ人々の行列が続く 佐伯 綾子(サエキ アヤコ) 1945/8/6 常葉橋から神田橋に至る堤筋

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