menu

トップページ原爆の絵地図 "基町・白島地区"

原爆の絵

地図 "基町・白島地区" で 432 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

前へ

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
241 GE17-15 広島連隊区司令部の防火用貯水堤から見た逃げる血だらけの避難者の列 奥村 昌司(オクムラ マサシ) 1945/8/6 広島連隊区司令部
242 GE30-06 西練兵場に避難してくる人々、市内では火災が発生している。 奥村 昌司(オクムラ マサシ) 1945/8/6 広島連隊区司令部
243 GE09-29 赤く焼けた花崗岩の基礎と学童や兵士の黒焦げの死体、黒焦げの樹木 井上 博(イノウエ ヒロシ) 1945/8/7 広島陸軍偕行社附属済美学校
244 WH03-062 広島陸軍兵器支廠 瀬島 唯男(セジマ タダオ) 明治43年 広島陸軍兵器支廠(旧)(基町の時代のもの)
245 GE06-01 陸軍幼年学校での被爆直後の様子、崩れた建物、吹き飛ばされた衛兵隊員や歩兵銃 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 1945/8/6 広島陸軍幼年学校
246 NG040-05 陸軍幼年学校の校庭に生存者を収容する。傷の状態により軽傷者より宇品へ搬送する。死者は付近に集積。 貞森 幹夫(サダモリ ミキオ) 1945/8/8~ 広島陸軍幼年学校
247 SG-0397 陸軍幼年学校での被爆直後の様子 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 広島陸軍幼年学校と赤穂部隊
248 SG-0063 中国軍管区司令部事務所、陸軍幼年学校 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 広島陸軍幼年学校付近
249 GE15-35 電車の中の運転手の死体、大八車に座ったままの若い男の死体 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) 1945/8/6 広島電鉄白島線終点付近
250 NG478-02 全身やけどで目の見えない6歳くらいの男の子。両親や兄弟のことを一晩中語りあかし亡くなった。 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) 1945/8/6 憲兵隊の住宅の地下室(基町と思われる)
251 NG477-01 くずれた兵舎の下敷きとなった兵士の声が火勢に消えて行く。 山本 チエノ(ヤマモト チエノ) 1945/8/6 戸坂より陸軍病院跡に入る途中(基町と思われる)
252 NG386-01 大きな梁の下に頭の黒い髪が見え、両親は「娘を助けて」と頼むが誰一人見向きもせず行き過ぎる。 造賀 巖(ゾウガ イワオ) 1945/8/6 東白島町(と思われる)
253 NG386-02 枕木が燃えているのを二人の兵士が消火していた。まわりに火の手はなく自然発火したものと思われる。 造賀 巖(ゾウガ イワオ) 1945/8/6 東白島町(と思われる)
254 WH13-012 東白島町界わい 石井 幸子(イシイ サチコ) 昭和16年頃夏 東白島町界わい
255 GE19-12 電車の中に座ったままの黒焦げの死体 瀬島 唯男(セジマ タダオ) 1945/8/7 東白島町電車終点近く
256 SG-0644 軍国少年 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 東白島町~西白島町
257 SG-0645 馬の暴走 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 東白島町~西白島町
258 WH03-053 歩兵第11連隊 瀬島 唯男(セジマ タダオ) 歩兵第11連隊
259 WH13-042 泉邸裏の常葉橋周辺 井野上 忠夫(イノウエ タダオ) 泉邸裏の淵、常葉橋周辺
260 SG-0087 被爆直後多くの傷ついた人達は太田川ぞいに川上へとのたうち苦しみながらのがれ行く 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) 爆心地より北方1500m付近(工兵橋)

前へ

次へ

Page Top