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トップページ原爆の絵地図 "基町・白島地区"

原爆の絵

地図 "基町・白島地区" で 432 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
121 NG478-08 川原で死体を火葬する。身元はほとんどわからない。川にはまだ一面の死体が浮いていた。 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) 1945/8/7 (基町と思われる)
122 NG473-02 脱線・転覆した列車、水を求めて川辺に集まった人々、橋の上で助けを求める軍人 山形 明(ヤマガタ アキラ) 1945/8/7 常葉橋付近
123 NG470-02 黒焦げの遺体を運び火葬する。焼け残りの材木と遺体を交互に積み重ね火葬する作業が毎日続いた。 篠山 益治(ササヤマ エキジ) 1945/8/7 西練兵場
124 NG470-01 爆風に飛ばされた馬車と宙吊りになった馬。下の川からは水を求める人たちのうめき声が聞こえてきた。 篠山 益治(ササヤマ エキジ) 1945/8/7 三篠橋
125 NG339-03 がれきの中から「水をください。」という声が聞こえた。妹はやけどしながら玖波まで自力で帰った。 伊賀﨑 静子(イガサキ シズコ) 1945/8/7 常葉橋付近、佐伯郡玖波町
126 NG315-07 砲車に負傷者を乗せて広島逓信病院に搬送する。広島城は爆風で倒壊していた。 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) 1945/8/7 広島逓信病院
127 NG315-06 倒壊した家屋の瓦礫の中から老夫婦を発見する。即死状態で助け出すことができなかった。 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) 1945/8/7 白島東中町~白島九軒町
128 NG314-26 米軍機が来たので防空ごうにかくれた。中には5、6人いて無傷のようだったがみな死んでいた。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/7 八丁堀
129 NG288-02 一人の兵士が「班長殿、水を下さい。」としきりに叫ぶ。その後方には後ろ手に縛られた外国人がいた。 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/7 広島城入口付近
130 NG210-01 護国神社の大鳥居の下の黒焦げの死体。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 1945/8/7 広島護国神社
131 NG102 水面に二重、三重にも折り重なり数え切れないほどの死体が浮いていた。 沖川 義雄(オキカワ ヨシオ) 1945/8/7 三篠橋東詰
132 NG040-03 練兵場で作業中に被爆した兵士たち。大やけどを負い、身体には、帯革と靴のみが残っている。 貞森 幹夫(サダモリ ミキオ) 1945/8/7 西練兵場
133 NG040-01 米軍機搭乗員2名が腰かけていた。堀の中には軍馬の死体。 貞森 幹夫(サダモリ ミキオ) 1945/8/7 中国軍管区司令部
134 GE43-10 力つき助けを求める人々、川の水を飲み死んでいった人々 塚本 俊一(ツカモト シュンイチ) 1945/8/7 常葉橋付近
135 GE42-37 病院の残骸整理をする兵士たち 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/7 第二陸軍病院
136 GE41-35 防空ごう内に避難してきた被爆者。すでに死んでいる人もいた。 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 1945/8/7 西練兵場の防空壕
137 GE41-30 全身やけどした軍馬が集まっていた。痛そうだった。 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 1945/8/7 西練兵場
138 GE34-38 土台だけ残った広島城天守閣 谷 豪雄(タニ トシオ) 1945/8/7 広島城、広島護国神社
139 GE33-36 直立不動の形のまま仰向けに倒れていた将校 室積 淑美(ムロズミ ヒデミ) 1945/8/7 京口門
140 GE33-25 桜の木にもたれて座禅をしているような姿のままで死んでいる兵隊、名前を書いた板がおいてあった。 安藤 一浪(アンドウ カズナミ) 1945/8/7 工兵橋東100m太田川堤桜並木

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