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トップページ原爆の絵地図 "基町・白島地区"

原爆の絵

地図 "基町・白島地区" で 432 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
181 NG477-03 郊外に避難する負傷者、衣服はボロボロで、両腕は皮膚が肉から離れ、手袋をぶら下げているようだった。 山本 チエノ(ヤマモト チエノ) 1945/8/6 三篠川の土手
182 NG477-01 くずれた兵舎の下敷きとなった兵士の声が火勢に消えて行く。 山本 チエノ(ヤマモト チエノ) 1945/8/6 戸坂より陸軍病院跡に入る途中(基町と思われる)
183 NG441 中国軍管区司令部で竹やりの訓練中に被爆し、東練兵場で亡くなった妹。 範重 精三(ノリシゲ セイソウ) 1945/8/6 中国軍管区司令部、東練兵場
184 NG415-02 病院は全壊し歩く道もなかった。負傷した同僚をなんとか安全な場所に誘導しようとした。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 広島第一陸軍病院前
185 NG391-10 水を求めて砂浜に集まる人々。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 京橋川、白島九軒町付近(と思われる)
186 NG391-08 小学校の同級生が軍服を着て足早に歩いていたが声をかけても興奮していて見向きもしてくれなかった。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 白島九軒町の土手筋
187 NG391-07 橋の両岸とも火災が発生しやむをえず川の砂浜で過ごした。姉がいないかと捜したが見当たらなかった。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 神田橋西詰め
188 NG391-06 川州に乗り上げた舟を漕ぎ出そうとする人。川で傷口や顔を洗う人、水を求めてそのまま亡くなる人。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 神田橋
189 NG391-05 縮景園前の防火用水槽には多くの人々がむらがって顔や手を洗っていた。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 縮景園前の白島線電車通り
190 NG386-03 多くの人が川原に集っていた。神田橋はすでに火の手が上り渡ることができない。 造賀 巖(ゾウガ イワオ) 1945/8/6 神田橋と山陽本線神田川鉄橋の中間
191 NG386-02 枕木が燃えているのを二人の兵士が消火していた。まわりに火の手はなく自然発火したものと思われる。 造賀 巖(ゾウガ イワオ) 1945/8/6 東白島町(と思われる)
192 NG386-01 大きな梁の下に頭の黒い髪が見え、両親は「娘を助けて」と頼むが誰一人見向きもせず行き過ぎる。 造賀 巖(ゾウガ イワオ) 1945/8/6 東白島町(と思われる)
193 NG370-04 川には黒こげの死体が累々と流れている。川州にたたずむ女性はやけどで胸の皮膚がたれ下がっていた。 山田 一郎(ヤマダ イチロウ) 1945/8/6 常葉橋
194 NG362-02 萬行寺にいた人たちが声をたよりに私たちのところに集まってきた。同僚と手を握り抱き合って一夜を過ごした 沼田 鈴子(ヌマタ スズコ) 1945/8/6 広島逓信局
195 NG362-01 気絶していた私は背中に負われて外に出た。逓信局も庭のアオギリも燃えていた。妹と会った時雨が降り出した 沼田 鈴子(ヌマタ スズコ) 1945/8/6 広島逓信局
196 NG342 工兵隊が船で人々を対岸に避難させていた。火災がせまり自分は泳いで川を渡った。 野崎 和夫(ノザキ カズオ) 1945/8/6 京橋川(と思われる)
197 NG341 もがき苦しみ川原に座りこむ人々。対岸は大火災で、多くの人が火から逃れようと川に入り流されていた。 小出 修(コイデ オサム) 1945/8/6 常葉橋下の川岸
198 NG315-05 爆風で倒壊した広島城天守閣。 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) 1945/8/6 広島城
199 NG315-04 川を流れる人や軍馬の死体。 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) 1945/8/6 常葉橋から縮景園裏の川筋
200 NG315-03 全身やけどの安田高等女学校の生徒。背中にはガラス片による傷を負っている。衣服はなく全裸だった。 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) 1945/8/6 白島中町付近

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