地図 "三篠・祇園地区" で 209 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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61 | GE38-19 | 祇園から川舟7隻で救護におもむき、屍 ルイルイの市内を見る | 本下 良蔵(モトシタ リョウゾウ)、本下 ユキノ(モトシタ ユキノ) | 1945/8/6 | 崇徳中学校、元安橋周辺 | |
62 | GE07-36 | 破壊された中央橋 | 山田 正喜(ヤマダ マサキ) | 1945/8/6 | 中央橋 | |
63 | SG-0403 | 百人くらいの避難所で、皮をむかれ、白魚を並べたように、苦しみ続けている負傷者。焼けただれた男性が「その帯剱で殺してくれ」といって足に抱きついて離さない。 | 上里 四九郎(アガリ シクロウ) | 1945/8/6 | 三滝の竹藪 | |
64 | SG-0358 | 療養中の父・友次郎さん(小原一家・原爆の絵連作3) | 小原 芳郎(オバラ ヨシロウ) | 1945/8 | ||
65 | NG234-01 | 異様な悪臭が鼻をつき見渡す限りがれきの山で所々で火葬の煙が灰色の空へ昇っていた。 | 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) | 1945/8/9 | 横川一丁目電停付近 | |
66 | GE22-43 | 瓦礫の荒野に点々と見える荼毘の状況 | 土橋 春人(ドバシ ハルト) | 1945/8/12 | 横川駅東高架線より南方を望む | |
67 | SG-0359 | 父・友次郎さんの野辺送り。(小原一家・原爆の絵連作4) | 小原 芳郎(オバラ ヨシロウ) | 1945/9 | ||
68 | NG310 | 爆風で家はこわれ体中にガラス片を受ける。恐怖で震えが止まらずおむすびも喉を通らなかった。 | 渡部 俊典(ワタナベ トシノリ) | 1945/8/6~8/7 | 三篠本町 | |
69 | SG-0058 | 燃え上がったゴム工場 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 横川駅より北方500m付近 | ||
70 | GE29-12-2 | 燃える枕木 | 宮原 満男(ミヤハラ ミツオ) | 1945/8/6 | 山手町 | |
71 | GE12-10 | 燃える工場とその前をよろめきながら川上に向かう人々 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/6 | 楠木町 | |
72 | GE34-31 | 燃えるホーム・機関手の屍 | 沖田 盛好(オキタ モリヨシ) | 1945/8/6 | 横川駅 | |
73 | NG159-02 | 焼け跡はまだ熱く、被爆者は、はだしはだかで「水を、水を」と助けを求めてきた。 | 西村 昇(ニシムラ ノボル) | 横川橋付近 | ||
74 | NG159-01 | 焼け跡はまだ熱く、被爆者は、はだしはだかで「水を、水を」と助けを求めてきた。 | 西村 昇(ニシムラ ノボル) | 1945/8/9 | 横川橋付近 | |
75 | GE06-28 | 焼け跡に焼けきらぬ人間が黒いかたまりで残っている。川から死体を引きあげたがあまり多いので途中でやめた | 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク) | 1945/8/7 | 横川橋 | |
76 | NG350 | 焼けだたれた負傷者たちの中にか細い声で叔母を呼ぶ叔父を発見した。叔父は4時間後に息を引き取った。 | 右谷 ユキコ(ミギタニ ユキコ) | 広島市信用組合本部 | ||
77 | GE43-11 | 焼けた電車と水を求める人々 | 川本 忠雄(カワモト タダオ) | 1945/8/7 | 横川橋南詰 | |
78 | NG001-02 | 焼けたトタンの上に並べられていた被爆死者 | 寺岡 美樹(テラオカ ヨシキ) | 1945/8/15頃 | 横川駅東寄りの踏切付近 | |
79 | GE01-19 | 然える街並みと避難する人々 | 山下 正夫(ヤマシタ マサオ) | 三篠 | ||
80 | GE03-03 | 炊き出しのおにぎりをもらいに横川駅へ行く | 紺田 ヨ子(コンダ ヨネ) | 1945/8/9 | 横川駅付近 |