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原爆の絵

地図 "三篠・祇園地区" で 209 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
21 GE03-05 避難場所へ助け合いながら行く被爆者 中原 ヤヱコ(ナカハラ ヤエコ) 1945/8/6 祇園町西原河原沖旧土手
22 NG427-01 避難場所に指定されていた祇園の青年学校を目指して逃げる。皆焼けただれ目玉が飛び出ている女性もいた。 櫻井 賢三(サクライ ケンソウ) 1945/8/6 楠木町通り
23 NG234-02 近所の叔母さんに会う。顔は真っ黒でやけどの水ぶくれが破れて皮膚があごからぶら下がっていた。 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) 1945/8/9 横川一丁目電停付近
24 NG234-03 跡形もなくなった家で「皆無事五日市に居る」と書いた板を見つける。見た瞬間涙が出た。 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) 1945/8/9 自宅前
25 GE42-39 負傷者を色々な車で運ぶ 小林 みつ(コバヤシ ミツ) 1945/8/8 新庄
26 GE34-13 負傷者でいっぱいのトラック、重傷の赤ん坊を抱く母親 藤田 フジエ(フジタ フジエ) 1945/8/6 長束の自宅付近
27 GE46-20 負傷した兵士たち 藤田 昌一(フジタ マサカズ) 1945/8/6 三篠国民学校
28 GE14-23 警防団員の誘導 ブロックの下敷きになった女性助けられず 小西 トモ子(コニシ トモコ) 1945/8/6 横川駅付近
29 GE04-44 親切な人にサイダーとビスケットをもらう 佐伯 敏子(サイキ トシコ ) 1945/8/6 三滝近くの線路土手
30 GE16-02-2 被爆直後からその後の避難のようす 匿名 1945/8/6 三篠国民学校、三滝橋付近
31 NG336-04 被爆死した父の帰りを待ち、男の人を見るたびに「おとうさんが帰ってきた」と追いかけていく妹。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 安佐郡祇園町の自宅付近
32 GE44-33 被爆後の横川町周辺の地図 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 横川町周辺
33 NG242-04 被爆であまりにも熱いため川に飛び込んだのだろうか。川一面にすき間なく死体が浮いていた。 中田 政彦(ナカタ マサヒコ) 横川橋
34 GE19-22 被爆1ヵ月後ハエのたかった死体があった。療養のため帰った山県のようす 神田 イツコ(カンダ イツコ) 1945/9/初旬 横川駅付近、山県
35 GE38-03 街路樹につながれた馬、負傷した伯母と姉 勤労奉仕で負傷をした私、3歳くらいの男の子の死体 畑 ユキコ(ハタ ユキコ) 1945/8/6 横川橋付近
36 GE44-04 血まみれの少年を背負う人 肉親を叫び続ける男 竹内 初二(タケウチ ハツジ) 横川電車通り
37 GE37-19 虫の息で水を求める人、みな逃げるのに懸命で誰一人水をあげる人はなく、後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎる 紀川 良子(キガワ ヨシコ) 1945/8/6 広島第二陸軍病院三滝分院の山手
38 GE40-03 薬を求める女性、衛生兵「あんたはもうダメジャけえ薬はあげられん 薬が少ないけ仕方がないんじゃ」 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) 1945/8/10頃 広島第二陸軍病院三滝分院前の臨時収容所附近
39 GE36-50 草原に倒れて死を待つ女性とその夫と子供の遺体 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) 1945/8/10 広島第二陸軍病院三滝分院前
40 NG375-02 草むらに一糸まとわぬ姿でパンパンにふくれ上がった親子らしい死体が北方向を向いて上向きに転がっていた。 沖 信枝(オキ ノブエ) 1945/8/7 三滝山東南の草むら

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