地図 "三篠・祇園地区" で 209 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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41 | NG336-06 | 原爆のことをピカドンと呼んでいた。昭和20年8月6日はピカドンで始まりピカドンで終わった一日だった。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
42 | GE02-02 | 友人と逃げる私、太田川にかかる木橋を足の裏側を火傷している友人は四つんばいになって渡る | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 山手橋 | |
43 | SG-0013 | 収容所(三滝町) | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 1945/8/20頃 | 三滝町 | |
44 | GE15-26 | 収容所の中でムシロに寝かされた人々、死体を焼く兵士 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 1945/8/13~8/15 | 打越町収容所 | |
45 | GE14-21 | 可部線の電車に乗車中炸裂音と同時に線路に待避 | 小西 トモ子(コニシ トモコ) | 1945/8/6 | 横川駅 | |
46 | GE37-29 | 吉田町からのおにぎりの配給を待つ人、信用金庫前の無数の死体 | 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) | 1945/8/7 | 横川駅周辺 | |
47 | GE02-04 | 国道上、可部線路上を助け合いながらトボトボ歩く被爆者たち | 小橋 染春(コバシ ソメハル) | 1945/8/6 | 国道54号線 山本~祇園の間 | |
48 | NG007-01 | 壁に押しつぶされ、黒焦げとなった死体。空を見上げ米軍機をにらみつけているようだった。 | 石田 晟(イシダ アキラ) | 1945/8/7 | 横川駅より南へ200mの電車線路沿い | |
49 | NG421-02 | 外が真っ白く光り音が止み辺りを見ると屋根は吹きとんで無かった。父はタンスの下で意識がなかった。 | 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) | 1945/8/6 | 横川町三丁目の自宅 | |
50 | NG336-03 | 夜、真っ赤に燃え続ける市内。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
51 | GE24-09 | 大八車で負傷者を運ぶ | 藤井 千代子(フジイ チヨコ) | 1945/8/6 | 三篠 | |
52 | WH02-034 | 大芝と長寿園川沿いの花見 | 木原 敏子(キハラ トシコ) | 昭和15、16年頃 | 大芝と長寿園の両岸 | |
53 | WH02-025 | 大芝土手の桜 | 中田 スエミ(ナカタ スエミ) | 大芝土手 | ||
54 | SG-0132 | 大芝土手・工場の煙突付近が猛裂に燃えておりその前を被爆重傷者がよろめきながら逃れていく | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/6 | 大芝土手(工場付近) | |
55 | NG247-02 | 天満川を渡ろうと中に入ると川上からたくさんの人が流されてきた。水は茶褐色になってドロドロだった。 | 砂田 房子(スナダ フサコ) | 1945/8/6 | 山手川付近 | |
56 | GE27-38 | 太田川に浮かぶ死体と焼けただれた被災者の群れ | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) | 三滝 | ||
57 | WH08-047 | 太田川放水路は以前は全部畑に人家だった。薪不足の時は熊笹、雑木をもらいに三滝観音への参道を通った。 | 相原 キクノ(アイハラ キクノ) | 昭和19年頃 | 三滝山付近 | |
58 | WH06-018 | 奉納花 | 石橋 シヅヲ(イシバシ シヅヲ) | 三篠町 | ||
59 | GE09-10 | 子供を抱き火を消してくれと叫ぶ婦人 | 上田 静人(ウエダ シズト) | 1945/8/6 | 横川駅近く | |
60 | GE06-06 | 安村に行く途中三篠の竹やぶに避難する。この中で多くの人が死んで行った。 | 冨田 實(トンダ ミノル) | 1945/8/6 | 三篠の竹やぶ |