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トップページ原爆の絵地図 "三篠・祇園地区"

原爆の絵

地図 "三篠・祇園地区" で 209 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
81 GE38-12 広島市信用組合に収容された無数の負傷者 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) 1945/8/7 広島市信用組合本部
82 NG350 焼けだたれた負傷者たちの中にか細い声で叔母を呼ぶ叔父を発見した。叔父は4時間後に息を引き取った。 右谷 ユキコ(ミギタニ ユキコ) 広島市信用組合本部
83 NG450-02 戸板に乗せられた死体の側で、炊き出しのむすびをもらう。むすびには、黒大豆と間違うほどハエがたかっていた。 匿名 1945/8/6、8/7 広島市信用組合本部前
84 GE45-02 竹やぶに吊るされた蚊帳の中に収容された無数の被爆者 藤森 長市(フジモリ ナガイチ) 1945/8/8 広島第二陸軍病院三滝分院
85 GE45-36 重油で死人を焼いているところを見る 高宮 ヨシノ(タカミヤ ヨシノ) 広島第二陸軍病院三滝分院
86 GE37-19 虫の息で水を求める人、みな逃げるのに懸命で誰一人水をあげる人はなく、後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎる 紀川 良子(キガワ ヨシコ) 1945/8/6 広島第二陸軍病院三滝分院の山手
87 GE26-23 竹やぶで傷の手当を受ける。しばらくすると黒い雨が降ってきた。 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) 1945/8/6 広島第二陸軍病院三滝分院出張班
88 GE36-50 草原に倒れて死を待つ女性とその夫と子供の遺体 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) 1945/8/10 広島第二陸軍病院三滝分院前
89 GE39-18 背中一面にウジがわいて苦しむ子供を見守る父親 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) 1945/8/末 広島第二陸軍病院三滝分院前
90 GE40-03 薬を求める女性、衛生兵「あんたはもうダメジャけえ薬はあげられん 薬が少ないけ仕方がないんじゃ」 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) 1945/8/10頃 広島第二陸軍病院三滝分院前の臨時収容所附近
91 SG-0661 三滝分院裏山の防空壕に避難した兵隊(患者)たち 上竹 茂夫(ウエタケ シゲオ) 1945/8/6 広島第二陸軍病院裏山 防空壕
92 NG477-02 やけどで顔がはれ上がった負傷者たち。ハエが群がり、ウジがわき、水を求めながら亡くなった。 山本 チエノ(ヤマモト チエノ) 1945/8/8から約2週間 広島陸軍病院大芝分院、三入分院
93 NG282 黒い雨が降る中、倒れた民家の横に手押しポンプを見つけ水を飲む。翌日までこの水だけで過ごした。 安井 信(ヤスイ マコト) 1945/8/6 打越町
94 WH14-032 安芸女学校の裏の福島川 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) 打越町・安芸女学校の裏の川
95 NG247-03 山では飛び火であちこちで火災が起こっていた。やけどした女の子を助け可部線沿いを歩いた。 砂田 房子(スナダ フサコ) 1945/8/6 打越町・山手川付近
96 GE15-26 収容所の中でムシロに寝かされた人々、死体を焼く兵士 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) 1945/8/13~8/15 打越町収容所
97 GE45-11 兵隊に水をくれとたのむ若い女性 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) 1945/8/13 打越町収容所
98 GE14-26 竹やぶの中の家が燃えている、看護婦と白衣の兵士達 小西 トモ子(コニシ トモコ) 1945/8/6 新庄
99 GE42-39 負傷者を色々な車で運ぶ 小林 みつ(コバヤシ ミツ) 1945/8/8 新庄
100 GE43-03 三滝へ逃げる被爆者の行列 秦 進一(ハタ シンイチ) 1945/8/6 新庄付近

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