地図 "三篠・祇園地区" で 209 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1 | WH08-047 | 太田川放水路は以前は全部畑に人家だった。薪不足の時は熊笹、雑木をもらいに三滝観音への参道を通った。 | 相原 キクノ(アイハラ キクノ) | 昭和19年頃 | 三滝山付近 | |
2 | WH02-034 | 大芝と長寿園川沿いの花見 | 木原 敏子(キハラ トシコ) | 昭和15、16年頃 | 大芝と長寿園の両岸 | |
3 | GE10-46 | 復員し我が屋の焼け跡にたたずむ | 松本 秀峰(マツモト シュウホウ)、松本 八峰(マツモト ハッポウ) | 1945/9頃 | 楠木二丁目(作者の自宅周辺) | |
4 | GE19-22 | 被爆1ヵ月後ハエのたかった死体があった。療養のため帰った山県のようす | 神田 イツコ(カンダ イツコ) | 1945/9/初旬 | 横川駅付近、山県 | |
5 | SG-0359 | 父・友次郎さんの野辺送り。(小原一家・原爆の絵連作4) | 小原 芳郎(オバラ ヨシロウ) | 1945/9 | ||
6 | GE39-18 | 背中一面にウジがわいて苦しむ子供を見守る父親 | 山本 忠代(ヤマモト タダヨ) | 1945/8/末 | 広島第二陸軍病院三滝分院前 | |
7 | NG234-03 | 跡形もなくなった家で「皆無事五日市に居る」と書いた板を見つける。見た瞬間涙が出た。 | 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) | 1945/8/9 | 自宅前 | |
8 | NG234-02 | 近所の叔母さんに会う。顔は真っ黒でやけどの水ぶくれが破れて皮膚があごからぶら下がっていた。 | 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) | 1945/8/9 | 横川一丁目電停付近 | |
9 | NG234-01 | 異様な悪臭が鼻をつき見渡す限りがれきの山で所々で火葬の煙が灰色の空へ昇っていた。 | 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) | 1945/8/9 | 横川一丁目電停付近 | |
10 | NG159-01 | 焼け跡はまだ熱く、被爆者は、はだしはだかで「水を、水を」と助けを求めてきた。 | 西村 昇(ニシムラ ノボル) | 1945/8/9 | 横川橋付近 | |
11 | NG024-04 | 市内は焼け野原で、路面電車は横転してレールは曲がり、軍馬は腹がパンパンに腫れ上がって倒れていた。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/9 | 横川駅 | |
12 | GE43-30 | トラックで運ばれる死体の山 | 杉本 サダ子(スギモト サダコ) | 1945/8/9 | 横川駅付近 | |
13 | GE42-12 | 竹やぶの中に避難した人々 | 脇本 恭一(ワキモト キョウイチ) | 1945/8/9 | 三篠町 | |
14 | GE35-30 | 火葬にするため一カ所に集められた死体、50体くらい | 塚本 喜三(ツカモト ヨシゾウ) | 1945/8/9 | 横川駅前 | |
15 | GE34-36 | 市内の炎 うす暗くなるとあちらこちらで炎が見え始めた | 片山 フジ(カタヤマ フジ) | 1945/8/9 | 横川駅前 | |
16 | GE03-03 | 炊き出しのおにぎりをもらいに横川駅へ行く | 紺田 ヨ子(コンダ ヨネ) | 1945/8/9 | 横川駅付近 | |
17 | NG477-02 | やけどで顔がはれ上がった負傷者たち。ハエが群がり、ウジがわき、水を求めながら亡くなった。 | 山本 チエノ(ヤマモト チエノ) | 1945/8/8から約2週間 | 広島陸軍病院大芝分院、三入分院 | |
18 | NG482 | 防火用水槽の中に頭を突っ込んで亡くなっている人。 | 青木 尊美(アオキ タカミ) | 1945/8/8 | 横川付近 | |
19 | GE45-02 | 竹やぶに吊るされた蚊帳の中に収容された無数の被爆者 | 藤森 長市(フジモリ ナガイチ) | 1945/8/8 | 広島第二陸軍病院三滝分院 | |
20 | GE42-39 | 負傷者を色々な車で運ぶ | 小林 みつ(コバヤシ ミツ) | 1945/8/8 | 新庄 |