地図 "三篠・祇園地区" で 209 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
141 | SG-0132 | 大芝土手・工場の煙突付近が猛裂に燃えておりその前を被爆重傷者がよろめきながら逃れていく | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 1945/8/6 | 大芝土手(工場付近) | |
142 | SG-0403 | 百人くらいの避難所で、皮をむかれ、白魚を並べたように、苦しみ続けている負傷者。焼けただれた男性が「その帯剱で殺してくれ」といって足に抱きついて離さない。 | 上里 四九郎(アガリ シクロウ) | 1945/8/6 | 三滝の竹藪 | |
143 | SG-0601 | 水を求めて田んぼに首を突っ込んだまま亡くなった人々 | 上竹 茂夫(ウエタケ シゲオ) | 1945/8/6 | 三滝 | |
144 | SG-0660 | 水を求めて田んぼに首を突っ込んだまま亡くなった人々、助けを求める人々 | 上竹 茂夫(ウエタケ シゲオ) | 1945/8/6 | 三滝 | |
145 | SG-0661 | 三滝分院裏山の防空壕に避難した兵隊(患者)たち | 上竹 茂夫(ウエタケ シゲオ) | 1945/8/6 | 広島第二陸軍病院裏山 防空壕 | |
146 | NG127-01 | 突然の黒い雨。「重油が降っている。焼夷弾が落ちてくるぞ」の声に右往左往し、橋の下に避難した。 | 山本 茂(ヤマモト シゲル) | 1945/8/6、7 | 三滝石橋西詰 | |
147 | NG450-02 | 戸板に乗せられた死体の側で、炊き出しのむすびをもらう。むすびには、黒大豆と間違うほどハエがたかっていた。 | 匿名 | 1945/8/6、8/7 | 広島市信用組合本部前 | |
148 | NG336-05 | 後障害に苦しみ髪の毛が抜け始めた母。柿のしぶがいいと聞き毎日もらいに行って母に飲ませた。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6以降 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
149 | GE16-02-1 | 校庭で朝礼中被爆。生徒や先生は傷ついた身体で三滝橋から山へ逃げる | 匿名 | 1945/8/6~1カ月後 | 三篠国民学校、三滝橋付近 | |
150 | NG310 | 爆風で家はこわれ体中にガラス片を受ける。恐怖で震えが止まらずおむすびも喉を通らなかった。 | 渡部 俊典(ワタナベ トシノリ) | 1945/8/6~8/7 | 三篠本町 | |
151 | GE02-12 | 横川電車どおりの様子、死んだ母の乳を求める幼児 | 竹内 初二(タケウチ ハツジ) | 1945/8/7 | 横川電車通り、丸通倉庫 | |
152 | GE02-20 | トタン屋根の下に仮収容され水を求める被爆者 | 武田 一美(タケタ カズミ) | 1945/8/7 | 横川橋 | |
153 | GE04-26 | 川中の無数の死体、橋の下に集まる死体を整理する兵隊 | 西田 輝美(ニシダ テルミ) | 1945/8/7 | 横川橋 | |
154 | GE06-28 | 焼け跡に焼けきらぬ人間が黒いかたまりで残っている。川から死体を引きあげたがあまり多いので途中でやめた | 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク) | 1945/8/7 | 横川橋 | |
155 | GE07-13-1 | 苦しむ母親の乳房を求める赤ん坊 | 西田 輝美(ニシダ テルミ) | 1945/8/7 | 楠木町二丁目付近 | |
156 | GE11-10 | むしろをかぶせられた収容所の死体(子供)の中から我が子を捜す母親 | 村田 久子(ムラタ ヒサコ) | 1945/8/7 | 安佐郡祇園町 | |
157 | GE12-30 | 広島市信用組合に収容された無数の人々 | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) | 1945/8/7 | 広島市信用組合 | |
158 | GE12-36 | 川の中のいっぱいの死体 | 中野 健一(ナカノ ケンイチ) | 1945/8/7 | 横川橋上流 | |
159 | GE13-34 | 川に浮かぶたくさんの死体 | 中野 健一(ナカノ ケンイチ) | 1945/8/7 | 横川新橋 | |
160 | GE25-08 | 線路を避難する人々 | 高野 孝作(タカノ コウサク) | 1945/8/7 | 横川駅西1.5km |