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トップページ原爆の絵地図 "三篠・祇園地区"

原爆の絵

地図 "三篠・祇園地区" で 209 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
121 GE46-20 負傷した兵士たち 藤田 昌一(フジタ マサカズ) 1945/8/6 三篠国民学校
122 NG047-01 線路わきの死体、鉄橋の下にロープを張り死体を引き上げる部隊、やけどした負傷者と介護の人 國貞 勇(クニサダ  イサム) 1945/8/6 横川駅手前
123 NG170 7、8人づつ肩を組んで助け合いながら大芝公園に避難してきた負傷者たち。 櫻井 多寿子(サクライ タズコ) 1945/8/6 大芝公園
124 NG247-02 天満川を渡ろうと中に入ると川上からたくさんの人が流されてきた。水は茶褐色になってドロドロだった。 砂田 房子(スナダ フサコ) 1945/8/6 山手川付近
125 NG247-03 山では飛び火であちこちで火災が起こっていた。やけどした女の子を助け可部線沿いを歩いた。 砂田 房子(スナダ フサコ) 1945/8/6 打越町・山手川付近
126 NG252-01 母に背負われて叔母と逃げる。足からは血が出ていた。辺りにはたくさんの人が倒れていた。 岩崎 佳代(イワサキ カヨ) 1945/8/6 横川町二丁目
127 NG252-02 歩き疲れて竹やぶで休んだ。母の耳から血がどんどん出はじめて、恐くて心細くて泣いた。 岩崎 佳代(イワサキ カヨ) 1945/8/6 新庄町
128 NG282 黒い雨が降る中、倒れた民家の横に手押しポンプを見つけ水を飲む。翌日までこの水だけで過ごした。 安井 信(ヤスイ マコト) 1945/8/6 打越町
129 NG315-02 倒壊した家屋の下敷きになり、手を伸ばして助けを求める動員学徒の中学一年生。 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) 1945/8/6 寺町~三篠本町
130 NG329 火災に追われ舟に乗せてくれるよう頼んだがすでにいっぱいだった。燃え盛る道を走って逃げる。 松本 政夫(マツモト マサオ) 1945/8/6 横川橋
131 NG336-01 障子が真っ黄色になったのを部屋の中から見る。「あらっ」と思った時ドーンという音がした。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6 安佐郡祇園町の自宅
132 NG336-02 祇園町の自宅より市内にきのこ雲が上がるのを見る。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6 安佐郡祇園町の自宅
133 NG336-03 夜、真っ赤に燃え続ける市内。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6 安佐郡祇園町の自宅
134 NG336-06 原爆のことをピカドンと呼んでいた。昭和20年8月6日はピカドンで始まりピカドンで終わった一日だった。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6 安佐郡祇園町の自宅
135 NG421-01 三滝の竹やぶに逃げる。近所の方に炊き出しで助けていただいた。兵隊さんが毛布で屋根を作ってくれた。 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) 1945/8/6 三滝の竹やぶ
136 NG421-02 外が真っ白く光り音が止み辺りを見ると屋根は吹きとんで無かった。父はタンスの下で意識がなかった。 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) 1945/8/6 横川町三丁目の自宅
137 NG427-01 避難場所に指定されていた祇園の青年学校を目指して逃げる。皆焼けただれ目玉が飛び出ている女性もいた。 櫻井 賢三(サクライ ケンソウ) 1945/8/6 楠木町通り
138 NG427-02 ほとんど裸で皮膚がたれさがった手を前に出して楠木町通りを逃げていく人々。 櫻井 賢三(サクライ ケンソウ) 1945/8/6 楠木町通り
139 NG444 けがをして助けを求めてきた男の子を背負い、三篠橋を渡る。 片桐 豊彦(カタギリ トヨヒコ) 1945/8/6 三滝橋
140 NG447 母親、弟妹と竹やぶで震えながら夜を明かす。市内は真っ赤な炎が見え、足元では多くの人が苦しんでいた。 渡部 治美(ワタナベ ハルミ) 1945/8/6 三滝の竹やぶ

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