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トップページ原爆の絵地図 "三篠・祇園地区"

原爆の絵

地図 "三篠・祇園地区" で 209 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
41 NG336-05 後障害に苦しみ髪の毛が抜け始めた母。柿のしぶがいいと聞き毎日もらいに行って母に飲ませた。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6以降 安佐郡祇園町の自宅
42 NG336-04 被爆死した父の帰りを待ち、男の人を見るたびに「おとうさんが帰ってきた」と追いかけていく妹。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 安佐郡祇園町の自宅付近
43 NG336-03 夜、真っ赤に燃え続ける市内。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6 安佐郡祇園町の自宅
44 NG336-02 祇園町の自宅より市内にきのこ雲が上がるのを見る。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6 安佐郡祇園町の自宅
45 NG336-01 障子が真っ黄色になったのを部屋の中から見る。「あらっ」と思った時ドーンという音がした。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6 安佐郡祇園町の自宅
46 NG329 火災に追われ舟に乗せてくれるよう頼んだがすでにいっぱいだった。燃え盛る道を走って逃げる。 松本 政夫(マツモト マサオ) 1945/8/6 横川橋
47 NG315-02 倒壊した家屋の下敷きになり、手を伸ばして助けを求める動員学徒の中学一年生。 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) 1945/8/6 寺町~三篠本町
48 NG311-02 歩道に並べてある死者がふくれていき、5日も経つと目、口、鼻など色々ところからウジがわいた。 脇中 悦子(ワキナカ エツコ) 1945/8/7 横川町
49 NG310 爆風で家はこわれ体中にガラス片を受ける。恐怖で震えが止まらずおむすびも喉を通らなかった。 渡部 俊典(ワタナベ トシノリ) 1945/8/6~8/7 三篠本町
50 NG282 黒い雨が降る中、倒れた民家の横に手押しポンプを見つけ水を飲む。翌日までこの水だけで過ごした。 安井 信(ヤスイ マコト) 1945/8/6 打越町
51 NG252-02 歩き疲れて竹やぶで休んだ。母の耳から血がどんどん出はじめて、恐くて心細くて泣いた。 岩崎 佳代(イワサキ カヨ) 1945/8/6 新庄町
52 NG252-01 母に背負われて叔母と逃げる。足からは血が出ていた。辺りにはたくさんの人が倒れていた。 岩崎 佳代(イワサキ カヨ) 1945/8/6 横川町二丁目
53 NG247-03 山では飛び火であちこちで火災が起こっていた。やけどした女の子を助け可部線沿いを歩いた。 砂田 房子(スナダ フサコ) 1945/8/6 打越町・山手川付近
54 NG247-02 天満川を渡ろうと中に入ると川上からたくさんの人が流されてきた。水は茶褐色になってドロドロだった。 砂田 房子(スナダ フサコ) 1945/8/6 山手川付近
55 NG242-04 被爆であまりにも熱いため川に飛び込んだのだろうか。川一面にすき間なく死体が浮いていた。 中田 政彦(ナカタ マサヒコ) 横川橋
56 NG242-03 橋のたもとで倒れていた馬とその首を枕にして横になり亡くなっていた馬車引きの人。 中田 政彦(ナカタ マサヒコ) 横川橋
57 NG242-02 橋のたもとで倒れていた馬とその首を枕にして横になり亡くなっていた馬車引きの人。 中田 政彦(ナカタ マサヒコ) 横川橋
58 NG242-01 橋のたもとで倒れていた馬とその首を枕にして横になり亡くなっていた馬車引きの人。 中田 政彦(ナカタ マサヒコ) 横川橋
59 NG234-03 跡形もなくなった家で「皆無事五日市に居る」と書いた板を見つける。見た瞬間涙が出た。 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) 1945/8/9 自宅前
60 NG234-02 近所の叔母さんに会う。顔は真っ黒でやけどの水ぶくれが破れて皮膚があごからぶら下がっていた。 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) 1945/8/9 横川一丁目電停付近

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