地図 "三篠・祇園地区" で 209 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1 | GE25-08 | 線路を避難する人々 | 高野 孝作(タカノ コウサク) | 1945/8/7 | 横川駅西1.5km | |
2 | GE26-23 | 竹やぶで傷の手当を受ける。しばらくすると黒い雨が降ってきた。 | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 広島第二陸軍病院三滝分院出張班 | |
3 | GE02-02 | 友人と逃げる私、太田川にかかる木橋を足の裏側を火傷している友人は四つんばいになって渡る | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 山手橋 | |
4 | GE45-36 | 重油で死人を焼いているところを見る | 高宮 ヨシノ(タカミヤ ヨシノ) | 広島第二陸軍病院三滝分院 | ||
5 | GE26-36 | もえ上がる炎、おびただしい数の死体、白島長寿園付近にて | 香川 千代江(カガワ チヨエ) | 1945/8/6 | 三篠町付近 | |
6 | WH14-054 | 山手町の新庄山にある浅野家のお墓 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 山手町 | ||
7 | WH14-053 | 山陽本線の付近の新庄山にある浅野家の墓所 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 山陽本線の付近の新庄山にある浅野家の墓所 | ||
8 | WH14-032 | 安芸女学校の裏の福島川 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 打越町・安芸女学校の裏の川 | ||
9 | WH14-031 | 安芸高等女学校の裏の福島川 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 安芸高等女学校裏の福島川 | ||
10 | GE45-11 | 兵隊に水をくれとたのむ若い女性 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 1945/8/13 | 打越町収容所 | |
11 | GE15-26 | 収容所の中でムシロに寝かされた人々、死体を焼く兵士 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 1945/8/13~8/15 | 打越町収容所 | |
12 | NG482 | 防火用水槽の中に頭を突っ込んで亡くなっている人。 | 青木 尊美(アオキ タカミ) | 1945/8/8 | 横川付近 | |
13 | NG336-06 | 原爆のことをピカドンと呼んでいた。昭和20年8月6日はピカドンで始まりピカドンで終わった一日だった。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
14 | NG336-05 | 後障害に苦しみ髪の毛が抜け始めた母。柿のしぶがいいと聞き毎日もらいに行って母に飲ませた。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6以降 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
15 | NG336-04 | 被爆死した父の帰りを待ち、男の人を見るたびに「おとうさんが帰ってきた」と追いかけていく妹。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 安佐郡祇園町の自宅付近 | ||
16 | NG336-03 | 夜、真っ赤に燃え続ける市内。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
17 | NG336-02 | 祇園町の自宅より市内にきのこ雲が上がるのを見る。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
18 | NG336-01 | 障子が真っ黄色になったのを部屋の中から見る。「あらっ」と思った時ドーンという音がした。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
19 | NG063-02 | 全身やけどの女性が腫れた目を手で押し上げて水を求め苦しみながらさまよっていた。 | 遠藤 留雄(エンドウ トメオ) | 横川駅近く | ||
20 | NG063-01 | 全身やけどの女性が腫れた目を手で押し上げて水を求め苦しみながらさまよっていた。 | 遠藤 留雄(エンドウ トメオ) | 横川駅近く |