地図 "三篠・祇園地区" で 209 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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41 | GE06-06 | 安村に行く途中三篠の竹やぶに避難する。この中で多くの人が死んで行った。 | 冨田 實(トンダ ミノル) | 1945/8/6 | 三篠の竹やぶ | |
42 | GE09-04 | 乾パンをもらっても食べる気力もなく人の後について行く被災者の列 | 前田 正一(マエダ マサカズ) | 1945/8/6 | 大芝公園より川上1kmか2㎞ | |
43 | GE16-02-1 | 校庭で朝礼中被爆。生徒や先生は傷ついた身体で三滝橋から山へ逃げる | 匿名 | 1945/8/6~1カ月後 | 三篠国民学校、三滝橋付近 | |
44 | GE16-02-2 | 被爆直後からその後の避難のようす | 匿名 | 1945/8/6 | 三篠国民学校、三滝橋付近 | |
45 | GE16-02-3 | 三滝山での避難の様子 | 匿名 | 1945/8/6 | 三滝橋付近から三滝山 | |
46 | NG450-02 | 戸板に乗せられた死体の側で、炊き出しのむすびをもらう。むすびには、黒大豆と間違うほどハエがたかっていた。 | 匿名 | 1945/8/6、8/7 | 広島市信用組合本部前 | |
47 | NG350 | 焼けだたれた負傷者たちの中にか細い声で叔母を呼ぶ叔父を発見した。叔父は4時間後に息を引き取った。 | 右谷 ユキコ(ミギタニ ユキコ) | 広島市信用組合本部 | ||
48 | NG234-01 | 異様な悪臭が鼻をつき見渡す限りがれきの山で所々で火葬の煙が灰色の空へ昇っていた。 | 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) | 1945/8/9 | 横川一丁目電停付近 | |
49 | NG234-02 | 近所の叔母さんに会う。顔は真っ黒でやけどの水ぶくれが破れて皮膚があごからぶら下がっていた。 | 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) | 1945/8/9 | 横川一丁目電停付近 | |
50 | NG234-03 | 跡形もなくなった家で「皆無事五日市に居る」と書いた板を見つける。見た瞬間涙が出た。 | 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) | 1945/8/9 | 自宅前 | |
51 | NG122-01 | 川に腹がふくらんだ死体が浮いて流れている。警察官と囚人が引き寄せ川岸に縄でつないでいた。 | 向井 健二郎(ムカイ ケンジロウ) | 1945/8/7 | 横川駅近くの本川 | |
52 | NG047-01 | 線路わきの死体、鉄橋の下にロープを張り死体を引き上げる部隊、やけどした負傷者と介護の人 | 國貞 勇(クニサダ イサム) | 1945/8/6 | 横川駅手前 | |
53 | GE21-16 | 川中の両手両足をのばし水膨れした死体 | 土居 博(ドイ ヒロシ) | 1945/8/8 | 横川橋下流 | |
54 | GE22-43 | 瓦礫の荒野に点々と見える荼毘の状況 | 土橋 春人(ドバシ ハルト) | 1945/8/12 | 横川駅東高架線より南方を望む | |
55 | NG193-06 | トラックが負傷者を乗せて吉田方面に向かっていた。乗る気にはなれなかった。人にはウジがわいていた。 | 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) | 1945/8/7 | 横川駅 | |
56 | NG315-02 | 倒壊した家屋の下敷きになり、手を伸ばして助けを求める動員学徒の中学一年生。 | 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) | 1945/8/6 | 寺町~三篠本町 | |
57 | GE01-08 | 竹やぶに逃げてきた人々に黒い雨が降っている | 塚本 喜三(ツカモト ヨシゾウ) | 1945/8/6 | 長束 | |
58 | GE10-16 | 死んだ子供を背負っている母親、歩けなくなりすわりこんだ死の寸前の人 | 塚本 喜三(ツカモト ヨシゾウ) | 1945/8/6 | 横川町三丁目 | |
59 | GE35-30 | 火葬にするため一カ所に集められた死体、50体くらい | 塚本 喜三(ツカモト ヨシゾウ) | 1945/8/9 | 横川駅前 | |
60 | GE40-06 | 竹やぶの中に避難し苦しむ人々 | 大佛 八重(オサラギ ヤエ) | 1945/8/7 | 三篠の竹やぶ |