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トップページ原爆の絵地図 "三篠・祇園地区"

原爆の絵

地図 "三篠・祇園地区" で 209 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
161 NG310 爆風で家はこわれ体中にガラス片を受ける。恐怖で震えが止まらずおむすびも喉を通らなかった。 渡部 俊典(ワタナベ トシノリ) 1945/8/6~8/7 三篠本町
162 NG311-02 歩道に並べてある死者がふくれていき、5日も経つと目、口、鼻など色々ところからウジがわいた。 脇中 悦子(ワキナカ エツコ) 1945/8/7 横川町
163 NG315-02 倒壊した家屋の下敷きになり、手を伸ばして助けを求める動員学徒の中学一年生。 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) 1945/8/6 寺町~三篠本町
164 NG329 火災に追われ舟に乗せてくれるよう頼んだがすでにいっぱいだった。燃え盛る道を走って逃げる。 松本 政夫(マツモト マサオ) 1945/8/6 横川橋
165 NG336-01 障子が真っ黄色になったのを部屋の中から見る。「あらっ」と思った時ドーンという音がした。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6 安佐郡祇園町の自宅
166 NG336-02 祇園町の自宅より市内にきのこ雲が上がるのを見る。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6 安佐郡祇園町の自宅
167 NG336-03 夜、真っ赤に燃え続ける市内。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6 安佐郡祇園町の自宅
168 NG336-04 被爆死した父の帰りを待ち、男の人を見るたびに「おとうさんが帰ってきた」と追いかけていく妹。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 安佐郡祇園町の自宅付近
169 NG336-05 後障害に苦しみ髪の毛が抜け始めた母。柿のしぶがいいと聞き毎日もらいに行って母に飲ませた。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6以降 安佐郡祇園町の自宅
170 NG336-06 原爆のことをピカドンと呼んでいた。昭和20年8月6日はピカドンで始まりピカドンで終わった一日だった。 青原 久子(アオバラ ヒサコ) 1945/8/6 安佐郡祇園町の自宅
171 NG350 焼けだたれた負傷者たちの中にか細い声で叔母を呼ぶ叔父を発見した。叔父は4時間後に息を引き取った。 右谷 ユキコ(ミギタニ ユキコ) 広島市信用組合本部
172 NG375-02 草むらに一糸まとわぬ姿でパンパンにふくれ上がった親子らしい死体が北方向を向いて上向きに転がっていた。 沖 信枝(オキ ノブエ) 1945/8/7 三滝山東南の草むら
173 NG421-01 三滝の竹やぶに逃げる。近所の方に炊き出しで助けていただいた。兵隊さんが毛布で屋根を作ってくれた。 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) 1945/8/6 三滝の竹やぶ
174 NG421-02 外が真っ白く光り音が止み辺りを見ると屋根は吹きとんで無かった。父はタンスの下で意識がなかった。 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) 1945/8/6 横川町三丁目の自宅
175 NG427-01 避難場所に指定されていた祇園の青年学校を目指して逃げる。皆焼けただれ目玉が飛び出ている女性もいた。 櫻井 賢三(サクライ ケンソウ) 1945/8/6 楠木町通り
176 NG427-02 ほとんど裸で皮膚がたれさがった手を前に出して楠木町通りを逃げていく人々。 櫻井 賢三(サクライ ケンソウ) 1945/8/6 楠木町通り
177 NG444 けがをして助けを求めてきた男の子を背負い、三篠橋を渡る。 片桐 豊彦(カタギリ トヨヒコ) 1945/8/6 三滝橋
178 NG447 母親、弟妹と竹やぶで震えながら夜を明かす。市内は真っ赤な炎が見え、足元では多くの人が苦しんでいた。 渡部 治美(ワタナベ ハルミ) 1945/8/6 三滝の竹やぶ
179 NG450-02 戸板に乗せられた死体の側で、炊き出しのむすびをもらう。むすびには、黒大豆と間違うほどハエがたかっていた。 匿名 1945/8/6、8/7 広島市信用組合本部前
180 NG470-03 やけどを負った死直前の兵士。薬もなく手当てもできず水を欲しがり苦しみぬいて死んでいった。 篠山 益治(ササヤマ エキジ) 新庄高射砲陣地の兵舎

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