地図 "三篠・祇園地区" で 209 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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121 | GE44-15 | 死んだ母親の乳を吸おうとする赤ん坊 | 竹内 初二(タケウチ ハツジ) | 横川電車通り | ||
122 | GE44-33 | 被爆後の横川町周辺の地図 | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) | 横川町周辺 | ||
123 | GE44-36 | 広島市信用組合周辺 | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) | 1945/8/7 | 三篠橋通、広島市信用組合 | |
124 | GE44-37 | 数百人の負傷者が収容された広島市信用組合 | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) | 1945/8/7 | 広島市信用組合 | |
125 | GE45-02 | 竹やぶに吊るされた蚊帳の中に収容された無数の被爆者 | 藤森 長市(フジモリ ナガイチ) | 1945/8/8 | 広島第二陸軍病院三滝分院 | |
126 | GE45-11 | 兵隊に水をくれとたのむ若い女性 | 須磨 總子(総子)(スマ フサコ) | 1945/8/13 | 打越町収容所 | |
127 | GE45-31 | 広島市信用組合で机、イスに寝かされている負傷者 | 内山 新助(ウチヤマ シンスケ) | 広島市信用組合 | ||
128 | GE45-36 | 重油で死人を焼いているところを見る | 高宮 ヨシノ(タカミヤ ヨシノ) | 広島第二陸軍病院三滝分院 | ||
129 | GE46-20 | 負傷した兵士たち | 藤田 昌一(フジタ マサカズ) | 1945/8/6 | 三篠国民学校 | |
130 | NG001-02 | 焼けたトタンの上に並べられていた被爆死者 | 寺岡 美樹(テラオカ ヨシキ) | 1945/8/15頃 | 横川駅東寄りの踏切付近 | |
131 | NG007-01 | 壁に押しつぶされ、黒焦げとなった死体。空を見上げ米軍機をにらみつけているようだった。 | 石田 晟(イシダ アキラ) | 1945/8/7 | 横川駅より南へ200mの電車線路沿い | |
132 | NG019-11 | 横川町附近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 横川町付近 | ||
133 | NG024-04 | 市内は焼け野原で、路面電車は横転してレールは曲がり、軍馬は腹がパンパンに腫れ上がって倒れていた。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/9 | 横川駅 | |
134 | NG024-16 | ムシロを敷きすわっていた母子。赤ん坊の目にはウジがはいっていた。大きい子は目が見えないらしい。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/10 | 横川駅前 | |
135 | NG024-20 | 弟を捜しに広島に出る。川沿いを歩くと川にはたくさんの死体が浮いていた。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/10 | 太田川 | |
136 | NG047-01 | 線路わきの死体、鉄橋の下にロープを張り死体を引き上げる部隊、やけどした負傷者と介護の人 | 國貞 勇(クニサダ イサム) | 1945/8/6 | 横川駅手前 | |
137 | NG062-05 | 三滝の竹やぶの中の仮収容所の人々。重傷の人の目、耳、口、傷口にわき体中を這うウジ。 | 大場 孝子(オオバ タカコ) | 1945/8/7 | 三滝の竹やぶ | |
138 | NG063-01 | 全身やけどの女性が腫れた目を手で押し上げて水を求め苦しみながらさまよっていた。 | 遠藤 留雄(エンドウ トメオ) | 横川駅近く | ||
139 | NG063-02 | 全身やけどの女性が腫れた目を手で押し上げて水を求め苦しみながらさまよっていた。 | 遠藤 留雄(エンドウ トメオ) | 横川駅近く | ||
140 | NG080-01 | 市内は焼け野原で遠くに比治山が見えた。道路には馬など動物と男女の別も判らない死体が横たわっていた。 | 下岡 タツ子(シモオカ タツコ) | 1945/8/7 | 横川駅 |