地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1 | SG-0070 | 高射砲隊、日本通運、広島電鉄宇品線、陸軍弾薬庫、船舶信号所、赤穂師団司令部 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 宇品港付近 | ||
2 | NG267-10 | 頭痛、めまい、下痢、吐き気を伴う食欲不振で起きられず兵舎で寝る。終日38度くらいの発熱に悩まされた。 | 川田 義男(カワタ ヨシオ) | 1945/8/8 | 陸軍船舶司令部の兵舎 | |
3 | NG076-01 | 雲一つない青空に真白くキノコ型の雲が高く高く吹き上げられて広がっていった。 | 鈴木 旭(スズキ アキラ) | 1945/8/6 | 広島港 | |
4 | WH02-029 | 陸軍被服廠裏の川での思い出 | 大川 哲也(オオカワ テツヤ) | 陸軍被服廠 | ||
5 | NG036 | 陸軍船舶練習部より見たきのこ雲 | 東 進(ヒガシ ススム) | 1945/8/6 | 陸軍船舶練習部 | |
6 | NG202-03 | 陸軍船舶司令部前の桟橋には人々が折り重なって倒れ救援の船を待っていた。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部 | |
7 | NG076-02 | 陸軍潜水艇ゆ艇。これに乗って広島湾で演習中にきのこ雲を見る。 | 鈴木 旭(スズキ アキラ) | 1945/8/6 | 広島港 | |
8 | SG-0619 | 防空壕へ患者たちを避難させる | 多田 キクエ(タダ キクエ) | 1945/8 | 広島陸軍共済病院 | |
9 | NG202-05 | 防火用水槽では十数人が折り重なっていた。幼児を胸に抱いて母親が絶命していた。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/6 | 宇品一丁目 | |
10 | NG175-01 | 防火用水槽から水をくみ、水を求める人に飲ませてあげようとしたが止められた。 | 石田 民生(イシダ タミオ) | 広島陸軍被服支廠 | ||
11 | NG457-01 | 金輪島から見たきのこ雲 | 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) | 1945/8/6 | 金輪島 | |
12 | NG267-07 | 部隊の兵舎が仮設の救護所となり、多数の負傷者がトラックや担架で運ばれてきた。 | 川田 義男(カワタ ヨシオ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部(仮設救護所) | |
13 | NG304-05 | 運動場にスズメが一羽落ち、学校の塀が何十mにも渡り同じ方向に倒れていた。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/6 | 広島逓信講習所 | |
14 | NG304-02 | 運動場から旋回するB29を見る。誰かが「B29が何かを落とした。」と叫んだ。しかし私には何も見えなかった。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/6 | 広島逓信講習所 | |
15 | WH03-046 | 遊覧飛行機墜落 | 山根 力男(ヤマネ リキオ) | 昭和3年5月 | 皆実国民学校校庭 | |
16 | GE39-25 | 軍上陸用舟艇で桟橋に運ばれてきた負傷者達 | 島川 六男(シマカワ ムツオ) | 1945/8/6 | 陸軍運輸部金輪島工場物品倉庫 | |
17 | NG292-01-27 | 路面電車の線路の歩道に真っ白なにぎり飯が並べてあったが、すでにくさっていた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/8 | 路面電車の線路の両側の歩道 | |
18 | GE29-44 | 負傷者を船で運ぶ | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島港、宇品市営桟橋 | |
19 | GE33-10 | 負傷者を看護する兵隊、死体を安置所から金輪島に運ぶトラック | 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) | 1945/8/7 | 陸軍船舶司令部(暁部隊) | |
20 | GE41-17 | 負傷して机の上に寝かされた所長 | 内田 豊(ウチダ ユタカ) | 1945/8/7 | 宇品十一丁目 住宅営団広島支所 |