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トップページ原爆の絵地図 "皆実・宇品地区"

原爆の絵

地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
101 NG267-05 突然閃光と爆発の強音に地面が揺れた。空を見上げると巨大な雲が急速に上っていききのこ雲となった。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
102 NG267-06 練兵場から兵舎の近くへ退避した。強烈な稲妻と雷鳴が地に響き夜明けのような光景にニワトリが鳴いた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
103 NG267-03 練兵場の朝礼。訓話が始まってまもなく爆音が聞こえた。雲の辺りだが機影は見えない。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
104 GE45-21 縮景園付近で被爆、常葉橋北の川原で午後四時まで待ち鶴見橋の方へ逃げる 香川 勇(カガワ イサム) 1945/8/6~8/7 陸軍船舶司令部(暁部隊)
105 NG251-02 自宅を中心とした皆実町から宇品町付近の略図。 住田 和之(スミダ カズユキ) 皆実町~宇品町付近
106 NG280-03 被服支廠で治療を受ける。翌朝大きな穴で遺体が火葬されるのをただぼう然とながめた。 大西 比呂志(オオニシ ヒロシ) 1945/8/6 広島陸軍被服支廠
107 GE22-37 被服支廠に収容され亡くなった人々は、屋外の広場に山積みにされ石油をかけて火葬された 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) 1945/8/10 広島陸軍被服支廠
108 SG-0419 被爆直後の広島逓信講習所 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/6 宇品町 広島逓信講習所
109 GE33-47 被爆直後の惨状、被災者を満載して走るトラック 西土 万合枝(ニシド マリエ) 1945/8/6 皆実町一~三丁目
110 NG313 見るも無残な負傷者が次々と運び込まれてきた。「兵隊さん、水をください。」と呼ぶ声にかけ回った。 江村 良雄(エムラ ヨシオ) 1945/8/6 広島港付近
111 GE41-17 負傷して机の上に寝かされた所長 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/7 宇品十一丁目 住宅営団広島支所
112 GE33-10 負傷者を看護する兵隊、死体を安置所から金輪島に運ぶトラック 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) 1945/8/7 陸軍船舶司令部(暁部隊)
113 GE29-44 負傷者を船で運ぶ 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/6 広島港、宇品市営桟橋
114 NG292-01-27 路面電車の線路の歩道に真っ白なにぎり飯が並べてあったが、すでにくさっていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 路面電車の線路の両側の歩道
115 GE39-25 軍上陸用舟艇で桟橋に運ばれてきた負傷者達 島川 六男(シマカワ ムツオ) 1945/8/6 陸軍運輸部金輪島工場物品倉庫
116 WH03-046 遊覧飛行機墜落 山根 力男(ヤマネ リキオ) 昭和3年5月 皆実国民学校校庭
117 NG304-02 運動場から旋回するB29を見る。誰かが「B29が何かを落とした。」と叫んだ。しかし私には何も見えなかった。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/6 広島逓信講習所
118 NG304-05 運動場にスズメが一羽落ち、学校の塀が何十mにも渡り同じ方向に倒れていた。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/6 広島逓信講習所
119 NG267-07 部隊の兵舎が仮設の救護所となり、多数の負傷者がトラックや担架で運ばれてきた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部(仮設救護所)
120 NG457-01 金輪島から見たきのこ雲 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) 1945/8/6 金輪島

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