地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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21 | GE08-47 | 全身火傷で腸が腹からぶら下がりながら歩く男性 | 初谷 忠曷(ハツヤ タダカツ) | 1945/8/6 | 宇品十三丁目電停前 | |
22 | NG267-02 | 兵器庫の事務室で作業をしながら出られなかった朝礼に出る気になった。これが運、不運の岐路となる。 | 川田 義男(カワタ ヨシオ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部(兵器庫事務室) | |
23 | NG267-01 | 兵器庫の横の空き地で支給された兵器を点検している兵士たち | 川田 義男(カワタ ヨシオ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部(暁部隊) | |
24 | SG-0435 | 凱旋館で暁部隊から治療を受ける。海岸に出ると治療を終えた人たちが、仮設屋根の下で休んでいた。 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 広島港埠頭(凱旋門会館前) | |
25 | GE37-24 | 勤労奉仕に出て被爆し、家に帰ってきた主人の姿 | 高 サナ(タカ サナ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 | |
26 | GE35-06 | 収容された負傷者で足の踏場もない倉庫、夫を火葬する | 落合 フミコ(オチアイ フミコ) | 1945/8/8 | 広島陸軍被服支廠 | |
27 | GE10-11 | 収容された負傷者を看護する兵隊、死体を運ぶトラック | 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) | 陸軍船舶司令部(暁部隊) | ||
28 | GE08-22 | 収容者名簿の掲示板を見てため息をつく人々 | 下谷 軍一(シモタニ グンイチ) | 1945/8/12 | 宇品町東部桜土手付近 | |
29 | NG284-01 | 司令部の門前には負傷者が横たわっていた。赤ん坊が泣き出し母親は私たち兵隊をにらんだ。 | 田口 清三郎(タグチ セイザブロウ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部門前 | |
30 | SG-0326 | 命の氷 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 宇品駅付近 | |
31 | NG326-01 | 夜あちこちで遺体が荼毘に付され、やけどや傷を負った人々のうめき声が聞こえた。 | 吉岡 隆子(ヨシオカ タカコ) | 1945/8/6 | 宇品の土手 | |
32 | NG326-02 | 夜あちこちで遺体が荼毘に付され、やけどや傷を負った人々のうめき声が聞こえた。 | 吉岡 隆子(ヨシオカ タカコ) | 1945/8/6 | 宇品の土手 | |
33 | NG314-22 | 夜がふけてきたので広島港広場の防空ごうの上で夜を明かす。市内はまだ燃え続けているようだった。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/6 | 広島港 | |
34 | NG304-08 | 子どものために炊事をしている女性。手当てしたあともなくやけどの傷をむき出しにしていた。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/8 | 広陵中学校近く | |
35 | SG-0415 | 学校での遺体の火葬。焼け残った部分をカラスが食べに来た | 村上 凡子(ムラカミ ナミコ) | 1945/8/7~15 | 広島女子専門学校 | |
36 | GE30-22 | 宇品から似島検疫所に向う | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島港、宇品市営桟橋 | |
37 | NG432 | 宇品から似島検疫所に船で負傷者を運ぶ。皆全裸でやけどし水を欲しがっていた。3日間作業は続いた。 | 福田 安次(フクダ ヤスジ) | 1945/8/6 | 広島港 | |
38 | WH13-005 | 宇品のボラ舟 | 小野 勝(オノ マサル) | 昭和初期 | 宇品町 | |
39 | GE37-09 | 宇品の広島陸軍共済病院へ向う被爆者 | 槻山 妙子(ツキヤマ タエコ) | 1945/8/6 | 宇品電車通り | |
40 | GE44-69 | 宇品の陸軍船舶司令部に収容され、三日目にようやく治療を受ける、その後坂の国民学校に移送される | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6~1945/8/13 | 陸軍船舶司令部 |