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原爆の絵

地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
21 GE44-69 宇品の陸軍船舶司令部に収容され、三日目にようやく治療を受ける、その後坂の国民学校に移送される 香川 勇(カガワ イサム) 1945/8/6~1945/8/13 陸軍船舶司令部
22 GE41-02 白いかたまりの中心付近が朱色に変わり、次第にふくれながら上空に昇った、市内から火災の煙が見え出した 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) 1945/8/6 金輪島から見た市街地上空
23 GE41-01 市街地上空に大きな綿菓子のような白いかたまりが浮かび上がった 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) 1945/8/6 金輪島から見た市街地上空
24 NG457-01 金輪島から見たきのこ雲 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) 1945/8/6 金輪島
25 GE02-01 爆発2時間後、空いっぱい広がった灰色のキノコ雲 柳本 睦夫(ヤナギモト ムツオ) 1945/8/6 金輪島
26 NG457-04 こわれた兵舎の屋根を修理し負傷者を収容する。子どもたちは母親を呼びながら死んでいった。 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) 野戦船舶本廠警備中隊、縫製工場
27 NG457-02 暁6140部隊のトラックで運ばれる負傷者たち 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) 野戦船舶本廠
28 NG292-01-27 路面電車の線路の歩道に真っ白なにぎり飯が並べてあったが、すでにくさっていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 路面電車の線路の両側の歩道
29 NG384-04 数時間後、雑魚場町へ建物疎開作業に行っていた母がやけどを負い帰ってきた。 古林 和夫(コバヤシ カズオ) 1945/8/6 翠町弥生通り
30 NG384-03 ドーンという音とともに屋根瓦がガラガラと雨のように目の前に落ちてきた。 古林 和夫(コバヤシ カズオ) 1945/8/6 翠町の自宅
31 NG384-02 柿の木を下りて縁側横に立ち庭をふと振り返ったとたんピカッと光った。 古林 和夫(コバヤシ カズオ) 1945/8/6 翠町の自宅
32 NG384-01 かすかなブーンという音に私は双眼鏡を持って庭の柿の木に登った。あれは日本の飛行機ではない。 古林 和夫(コバヤシ カズオ) 1945/8/6 翠町の自宅
33 GE37-24 勤労奉仕に出て被爆し、家に帰ってきた主人の姿 高 サナ(タカ サナ) 1945/8/6 翠町の自宅
34 GE12-13 皮膚が下がり、髪の毛が逆立った人々が広島陸軍共済病院の方に行く 繁森 アサ(シゲモリ アサ) 1945/8/6 翠町
35 SG-0416 校庭で友達を焼いた日 切明 千枝子(キリアケ チエコ) 1945/8 県立広島第二高等女学校
36 NG251-02 自宅を中心とした皆実町から宇品町付近の略図。 住田 和之(スミダ カズユキ) 皆実町~宇品町付近
37 SG-0170 ペチャンコの寄宿舎 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/6 皆実町広島師範学校予科寮倒壊現場
38 WH14-114 皆実町付近 上西 薫(カミニシ カオル) 昭和10年 皆実町周辺
39 NG224 家の前をケガやヤケドをした人々が安全な場所を求めて苦しそうに逃げて来た。 内海 昭子(ウツミ アキコ) 1945/8/6 皆実町二丁目
40 SG-0635 8月6日の夜空。空が二つに分かれていた 切明 千枝子(キリアケ チエコ) 1945/8/6 皆実町上空

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