地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | WH04-006 | 宇品周辺 | 古谷 稔(フルタニ ミノル) | 大正12年頃 | 丹那橋 | |
2 | NG317 | 気がつくと屋根の下敷きになっていてかろうじて外に出るとそこは灰色と赤だけの世界だった。 | 深田 利幸(フカダ トシユキ) | 1945/8/6 | 光徳寺 | |
3 | SG-0460 | 宇品凱旋館の中でアカチンを塗ってもらい、少しの間休む | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 凱旋門会館内 | |
4 | SG-0169 | みんな逃げて来る | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 出汐から皆実町に行く途中 | |
5 | NG326-01 | 夜あちこちで遺体が荼毘に付され、やけどや傷を負った人々のうめき声が聞こえた。 | 吉岡 隆子(ヨシオカ タカコ) | 1945/8/6 | 宇品の土手 | |
6 | NG326-02 | 夜あちこちで遺体が荼毘に付され、やけどや傷を負った人々のうめき声が聞こえた。 | 吉岡 隆子(ヨシオカ タカコ) | 1945/8/6 | 宇品の土手 | |
7 | GE35-07 | 病院の廊下や外に並べられた負傷者や死体 | 蔵本 芳子(クラモト ヨシコ) | 1945/8/12 | 宇品の病院 | |
8 | NG202-05 | 防火用水槽では十数人が折り重なっていた。幼児を胸に抱いて母親が絶命していた。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/6 | 宇品一丁目 | |
9 | NG302 | きのこ雲が西に流れ民家は崩れて土煙がすごかった。やけどした市民が声もなくゆうれいのように歩いていた。 | 岩澤 弘(イワサワ ヒロシ) | 1945/8/6 | 宇品七丁目 | |
10 | WH07-010 | 海のそばを走る電車 | 柴崎 芳美(シバサキ ヨシミ) | 宇品五丁目付近 | ||
11 | GE06-48 | 火傷に苦しむ負傷者たち | 藤田 弥生(フジタ ヤヨイ) | 1945/8/10 | 宇品八丁目あたりの軍の建物の入口 | |
12 | GE41-17 | 負傷して机の上に寝かされた所長 | 内田 豊(ウチダ ユタカ) | 1945/8/7 | 宇品十一丁目 住宅営団広島支所 | |
13 | GE08-47 | 全身火傷で腸が腹からぶら下がりながら歩く男性 | 初谷 忠曷(ハツヤ タダカツ) | 1945/8/6 | 宇品十三丁目電停前 | |
14 | NG176-04 | 島の人たちも、仕事や学校で広島に出ていた。「一刻も早く帰りたい」と広島港桟橋へ向かった。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 宇品海岸通 | |
15 | SG-0156 | 中国軍管区司令部陸軍歩兵西部第二部隊宇品港より南方戦々へ | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 宇品港 | ||
16 | WH03-007 | 宇品港の思い出 | 原田 照美(ハラダ テルミ) | 昭和14年末 | 宇品港 | |
17 | WH14-115 | 広島港は兵隊のみならず馬もでた | 上西 薫(カミニシ カオル) | 昭和15年頃 | 宇品港 | |
18 | SG-0070 | 高射砲隊、日本通運、広島電鉄宇品線、陸軍弾薬庫、船舶信号所、赤穂師団司令部 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 宇品港付近 | ||
19 | SG-0152 | 広島陸軍検疫所での軍馬の検査 | 濱田 義雄(ハマダ ヨシオ) | 宇品港付近 | ||
20 | SG-0559 | 火傷の治療後、小型船に乗った | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 宇品港埠頭 |